スコットランド人建築家、John Begg(1866-1937)による作品で、1913年着工、1917年竣工。
John Beggによる建築はこの他、Printing & Publishing Enterprise(1912年)とCustom House(1915年)があり、このTelegraph Officeはヤンゴンにおける彼の最後の作品である。
1840年代に実用化された電信システムは既存の情報伝達速度を飛躍的に速め、瞬く間に世界中に広がっていった。当時イギリスの植民地であったビルマも例外ではなく、1860年代には電信システムの枠組の中に加わり、ビルマ領内だけでなく世界とビルマを繋げることとなる。また、1877年にはラングーンとマレーシアのペナン(Penang)を結ぶ海底ケーブルが敷設され、更に電信網は広がりを見せる。
1939年時点でビルマ領内に656の電信局と50,000kmに及ぶケーブルが張り巡らされたという。
ラングーンに初めての電信局ができた時期は定かではないが、Strand通りにあったビルマ総督府(後、Botahtaungに移動:Secretariat Office)の建物を1895年からCentral Telegraph Officeとして使用していたらしい。
1917年に現在の建物が完成するとこちらに移動し、軍政時代を含め現在に至るまで、ヤンゴンの住民と世界を繋げる役割を果たし続けている。
技術の進歩により電信サービスが廃れてしまった現在は、Myanma Posts & Telecommunications(MPT)として通信サービスを提供している。
また、同建物には2014年7月に設立されたKDDIと住友商事の合弁会社であるKDDI Summit Global Myanmar Company Limited(KSGM)が入居している。
かつて貧弱な通信システムを有する国の一つであったミャンマーも、2014年にはノルウェーのTelenorとカタールのOoredooが参入し、また2018年からはベトナムのMytelが4社目として通信事業に参入するなどインターネット環境は激的な改善を見せている。
以前は1枚1,500USD近くしたSIMカードも現在では1USD強(1,500ks)で購入できるようになるなど隔世の感がある。
なお、電信サービスは廃れてしまってはいるが、完全に廃止されたわけではなく現在でも北側から入ったところでサービスを継続している。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
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