2nd Blue Plaque
現在でもスーレーパゴダを中心としたヤンゴンダウンタウンの景観を作りだしている、中央に尖塔を有した3階建ての建物はかつて「東洋のハロッズ(Harrods)」と呼ばれていた。
Charles F. Stevensの設計により1910年に完成したこの建物は、半世紀にわたりRowe & Companyの本店として当時のラングーン富裕層たちに親しまれていた。
2014年9月にYangon Heritage Trustにより2番目のBlue Plaqueに指定されている。
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1866年にR. V. Roweにより設立されたRowe & Companyは当初Mogul Street(現Shwe Bon Thar Street)の小さな一般小売店であったという。
設立後しばらくしてMerchant Streetに移り、その後ラングーンの発展とともに事業を拡大していき1894年にはラングーンの一等地であった現在の場所に移転することとなる。
1908年には同地にCharles F. Stevensの設計により新しい店舗の建設をはじめ、1910年に完成。「アジアのSelfridge」と呼ばれたSofaer & Companyと並び、「東洋のハロッズ」と呼ばれるまでになり、ラングーンの富裕層たちに様々な商品を提供した。
なお、設計者のCharles F. Stevensの父であるFrederick W. Stevensは同様に建築家であり、2004年に世界遺産に指定されたMumbai(旧Bombay)にあるVictoria Terminus(現Chhatrapati Shivaji Terminus)の設計で有名。
当時最新鋭の技術をふんだんに使ったこの建物は、ラングーンでも最初期の鉄骨造りであり、エレベーターやシーリングファン(天井扇風機)、地階を有したものであった。
ヨーロッパ人や裕福なアジア人が様々な高級品を求めてこの店を訪れ、Mandalay、Moulmein(現Mawlamyaing)、Bassein(現Pathein)を含む全38支店をビルマ領内に有していた。
また年に4回、300ページにも及ぶカタログを発行しており、「ここで手に入らないものはない」という自負をもって営業をしていたという。
毎年12月になるとMaymyo(現Pyin Oo Lwin)から松の木を持ってきて巨大なクリスマスツリーを飾っており、その姿は「東洋のハロッズ」の名に恥じないものであった。
第二次世界大戦中には略奪にあったものの、戦後、営業を再開。しかし1964年4月に本支店含む全ての国内資産を国有化されおよそ100年に亘ったRowe & Companyの歴史は終わりを迎える。
国有化後はWorkers' College(1964年設立)の図書館や移民労働省(Department of Immigrationo & Manpower)として使用されていたが、2006年に首都がヤンゴンからネピドーに移ると、以降は空き家となっていた。2008年にはサイクロンナルギスにより大きな被害を受け、屋根の交換や補修が行われた。
2012年から政商の一人であるZaw Zawが起こしたMax Myanmar Group of Company傘下のAyeyarwady Bank(2010年設立)本店として使用されている。
Maha Bandula Garden Street側上部には現在でもRCの文字が残っており、時代は変わったが現在でも往時と変わらない賑わいを見せるヤンゴンダウンタウンの中心で、ヤンゴンの歴史を伝えている。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
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