8th Blue Plaque
イタリア風の荘厳な4階建ての建築物は、かつてのラングーンにおけるビジネスの中心であった。1906年竣工。設計はThomas SwalesとIsaac A. Sofaer。
2015年9月にYangon Heritage Trustにより8番目のBlue Plaqueに指定された。
所有者かつ設計者であるIsaac A. Sofaerの名をとり、Sofaers Buildingと呼ばれている。
Isaac A. Sofaerは1867年に当時オスマン帝国のバグダード(Baghdad)に生まれたユダヤ人商人で、9歳の時に両親に連れられてラングーンに引っ越し、Saint Paul's High Schoolを卒業。
弟のMeyer Abraham Sofaer(1880-1955)とともにSofaer & Companyを設立し、諸外国から仕入れた高級酒類や特産品など、高級品の輸入販売を行った。
貿易商としての成功とともに1906年にこのSofaer's Buildingを建設し、自身で輸入した商品を販売するほか様々な会社にテナントとして貸し出していた。
当時のラングーン富裕層は、エジプト産葉巻やドイツビール、イギリス本国のお菓子、各国の輸入酒などをこの建物で購入しており、アジアのSelfridge(イギリスの高級百貨店)と呼ばれていたという。
なお、現在Ayeyarwady Bankの本店が居を構えている建物は、もともとは同様に輸入品を取り扱うRowe & Companyであり、こちらはSelfridgeに対して東洋のHarrods(イギリス最大の老舗百貨店)と呼ばれていたという。
また多くの有名な会社がオフィスとして入居しており、当時「東の庭園都市」と呼ばれたラングーンを華やかに彩っていた。
*代表的な入居会社・個人
・China Mutual Life Insurance Company(1896年設立)
・Reuters Telegram Company(1851年設立、現Thomson Reuters)
・Peter Klier(ドイツ人写真家)
・J. D. Pappademitriou(ギリシャ人皮商人)
この建物の落成式は当時のラングーンにおいて、その年の一大イベントの一つであり、建設後はすぐにラングーンのビジネスの中心になっていった。
またラングーンでは最も早くエレベーターを導入した建物の一つでもあり、現在でもその名残を見付けることができる。
最盛期は2,000人以上を誇ったというユダヤ人コミュニティ(ラングーンの国勢調査によると1901年:508名、1911年:750名、1931年:1,069名)の中心人物で、現在でも26番通りに残っているシナゴーグの管理人でもあり、またラングーン市の運営や徴税に関する組織にも所属していた。
Issac Sofaerの子孫が言うには兄のIsaacは夢想家で弟のMeyerが実業家であったという。
Isaacが自身の手がけたこの建物の建設現場で終始進捗を眺める中、弟のMeyerが一族の事業を拡大すべく、様々な輸入品を求めて世界を回っていたという。
財政界に加え、ユダヤ人コミュニティにおいても存在感を放っていたSofaer一族の事業も、この建物が建ってから10年も経過するころには終わりを迎えることになる。
1917年ごろには資金繰りの問題が発生し、この建物のみならず、所有するほとんどの資産を失っており、Sofaer一族もそのほとんどがラングーンを離れインドやイギリス、アメリカへ移住していったという。ただしIsaacは1929年に62歳で亡くなるまでラングーンを離れることはなく、全てを失った彼がどのようにこの地で晩年を過ごしていたのか、興味深いものがある。
ちなみにIsaacは2度の結婚を経験しており、最初の結婚は1895年に同じくユダヤ人のRamah Solomon(1877-1917)と、彼女が1917年に亡くなった後、Maymyo(現Pyin Oo Lwin)出身のビルマ人と再婚し一女(Ruby Sofaer:ビルマ名Daw Saw)を儲けており、もしかすると晩年は想像するよりも寂しいものではなかったのかもしれない。
余談だがIsaacの長男であるAbraham Isaac Sofaer(1896-1988)は第一次世界大戦後ロンドンへ渡り、後、ハリウッドにて俳優として活躍する。
代表作は"A Matter of Life and Death(1946年)"、"Quo Vadis(1951年)"他。
Isaacがこの建物を手放した後、1930年代には向かいにあるRander Houseと呼ばれた建物の所有者である、インドのスラート(Surat)出身の商人によりこの建物は買い取られ、Rander Houseと並び"Randeria House"と呼ばれていたという。
なお、このスラート出身のインド人商人も第二次世界大戦前後にはラングーンを離れている。
ビルマの独立後は政府所有になり、山林省(Forestry Department)が上階に、Sugar Project Boardと呼ばれる精糖管理事業部が主要フロアに入居していた。
1962年のクーデーター後は政府による米や食用油、砂糖の配給を行う場所として使用され、また、1971年には2階にLokanat Galleryが設立され、当時としては数少ないビルマ現代芸術の画廊となった。
現在、1階にはGekko(月光)やSofaer & Co.,といったレストラン/バーなどが入居している。どちらも床のタイルは建設当時のものを再利用しており、これらは当時イギリスのManchesterから輸入したものだという。また天井に見える鉄骨も当時のものをそのまま利用しており、こちらはLancashireからのもの。
2階には1971年から現在まで変わらず、Lokanat Galleryが入居しておりミャンマー現代美術の中心となっている。
また西側(37番通り側)にはZAR CHI WIN Guest Houseがあり、宿泊も可能。
柱はコリント式 |
エレベーター |
Sofaer & Co., |
タイルは当時のもの |
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
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