正面に書かれたS.P.G.の文字が、この教会がイギリス国教会であることを物語る。
1926年ごろに完成したこの教会は、その設計にArthur G. Bray(参考:Irrawaddy Flotilla Company)も関わっているという。
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現存する教会は1920年代のものだが、この教会の始まり自体は1870年代まで遡る。
もともとイギリス国教会の海外宣教組織であるS.P.G.(Society for the Propagation of the Gospel in Foreign Parts : 1701年設立)のビルマにおけるタミル人及びテルグ人(テルグ語話者)に対する宣教のために教会が建てられた。
正確な場所はわからないが、現在とは異なる場所にチーク作りの教会があったという。
第二次英緬戦争(the Second Anglo-Burmese War : 1852-1853)の結果、下ビルマをイギリスに併合され、その首都(州都)となったラングーンには、既に植民地であったイギリス領インド帝国の南部、マドラス管区(Madras Presidency)から労働移民としてタミル人やテルグ人が多数やってきた。
一部は短期労働移民として数年するとインドへ戻っていったが、それでもラングーンの地に定住したものもかなりの数がいたという。
元来その大多数がヒンドゥー教を信仰する彼ら移民たちに対し、キリスト宣教を行うことを主目的として建てられたのがこの教会である。
それ以降、徐々にではあるが改宗者を増やしていき、教会の老朽化もあったと考えられるが、一番の理由としてはラングーン市当局からの圧力(恐らく道路等の拡張による立ち退き)により、1925年に現在の場所へ移転することとなる。
1925年4月4日に当時のラングーン教区の主教であったRollestone Sterritt Fyffeにより礎石が置かれ、新たな教会の建設が始まり1926年ごろに完成した。
その後は第二次世界大戦による被害を受けたり、大戦期~ネウィンによるクーデーターを経て多くのタミル/テルグ人たちはビルマを離れ、インドへと戻って行ってしまったが、それでも現在までこの地に住み続けているキリスト教徒たちにとって、最も歴史のある教会として存在し続けている。
(現在ではそのほとんどがタミル語/テルグ語を話すことができないという)
なお、教会敷地内にある司祭の住居はチーク作りの建築となっており、こちらも一見の価値がある。
Rowman & Littlefield Publishers
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