かつてヴェネチアンゴシック様式のカトリック教会であった建物は、世界最大級のメガバンクであるHSBCのラングーン支店としても使用されていた。
改築/増築により建設当時の特徴的な尖塔はなくなってしまったが、現在でも細部に当時の面影を見つけることができる。
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香港上海銀行は1865年3月3日、阿片戦争(First Opium War : 1839-1842)後にイギリスと清の間で結ばれた南京条約により割譲された香港の地で設立された。
その1か月後には同じく南京条約によって開港されていた上海にも支店を開業し、当初はこの2店舗をもって営業が行われていた。
イギリス帝国の海外銀行の中でも珍しく、ロンドンではなく植民地である香港に本店を置いたのはこの銀行の特徴の一つでもあるだろう(1992年に本店はロンドンへ移転)。
アジアとヨーロッパを繋ぐ銀行としてすぐに急成長を遂げた同行は、1866年に横浜、1867年に(Calcutta、現コルコタ:Kolkata)、1869年に神戸・ボンベイ(Bombay、現ムンバイ:Mumbai)、1870年にサイゴン(Saigon、現ホーチミン:Ho Chi Minh)、1877年にシンガポール、1888年にバンコク、1892年にコロンボと各地に支店を開設していく。
そうした流れの中で1891年に、既に全土を植民地としていたビルマへも進出する。進出当初はShafraz Road(現Bank Road)に支店を構えていたが、1901年に現在の場所に建っていたカトリック教会を購入し改築を加え移転する。
1920年代になり香港上海銀行は多くの国で新たな店舗の建築を行っており(1921年バンコク支店、1922年マニラ支店、1923年上海支店)、そういった流れの中でラングーン支店も改築が行われ、この時に特徴的であった尖塔も取り除かれることとなった。
なお、ラングーン支店は他国の支店と比べて特別大きな利益は上げておらず、あまり重要な支店ではなかったと言われている。
戦後は再びラングーンへ戻り、1948年にビルマがイギリスから独立した後も営業を続けた。
1962年、ネウィン(Ne Win)によるクーデターにより政治体制が一変し、所謂「ビルマ式社会主義」を標榜することになる。
そのため翌1963年2月23日に全ての国内銀行の国有化が行われ、当時ビルマ国内に存在した14の外国銀行と10の地元銀行は"People's Bank of Burma"となる。なお、No.1-14が外銀に、No.15-24が地元銀行にそれぞれ振り分けられ、香港上海銀行は"People's Bank of Burma No.9"となった。
その後1972年にPeople's Bank of Burmaは"Union of Burma Bank"に改称し、1975年の"Bank Act"によりUnion of Burma Bankは下記の四行に分割される。
1. Union of Burma Bank
2. Burma Economic Bank
3. Burma Foreign Trade Bank
4. Burma Agricultural Bank
1989年にビルマからミャンマーへの国名変更にともないMyanma Foreign Trade Bankと改称され、現在も国内の外国為替銀行として営業中。
なお、2018年12月時点でHSBCによるミャンマーへの再進出は行われていない。
MFTB本店 |
参考文献:
Nordic Inst of Asian Studies
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
Gregg Intl Pubns
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