消えかけてしまっているが建物正面のポルチコに薄っすらと残るカンガルーとエミューが、かつてこの建物がオーストラリア大使館であったことを物語る。
ちなみにカンガルーとエミューはどちらもオーストラリア固有の動物で、「前進しかしない」という理由で同国の国章になったという。
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この建物はもともとDarwood Mansionと呼ばれており、その名前が示す通りDarwood家が所有していた。
スコットランドで生まれたJohn William Darwood(初代:1803-1850/04/14)は第一次英緬戦争(the First Anglo-Burmese War : 1824-1826)に従軍し、戦後、ヤンダボ条約(Treaty of Yandabo)により割譲されたテナセリム地方(Tenasserim)に移住した。
移住先のモールメイン(現・モーラミャイン)でMargaret Jane Snoball(1807-1874)と結婚したJ. W. Darwoodは木材事業を行うDarwood & Companyを設立した。
2人の間に生まれたJohn William Darwood(2代目:1834/08/15-1892/10/04)は父親の事業を引き継ぎ、1860年にはルーマニア人のJohn Goldenbergとパートナーシップを結びDarwood & Goldenberg Companyを設立。1881年にJohn Goldenbergが引退し、その後はJohn MacgregorとDarwood & Macgregor Companyを設立(1885年にパートナシップを解消)して木材を中心にモールメインだけでなく、ラングーンやToungoo、Mandalay、Kathaにも拠点を有していた。
また、木材だけでなく1884年3月4日にラングーンで初めて開通した蒸気トラムの運営を行っていたのもこのDarwood & Co.,である。
残念ながらこの事業はあまりうまくいかず1889年には売却することとなったが、それでもラングーンにおける初めてのトラム運営という功績は非常に大きいものであった。
その後、息子のSir John William Darwood(3代目:1873/05/05-1951/05/08)へ事業は引き継がれていき、この3代目のJohn William Darwoodの時代にDarwood & Co.,は最盛期を迎えることとなる。
上記のトラム運営だけでもラングーンの歴史に名を刻んではいるが、更にこの会社の名前を現代まで伝えることとなったのは間違いなくストランドホテルに関連してだろう。(参考:Strand Hotel)
現在までヤンゴンの老舗高級ホテルとして名高いストランドホテルが建つ土地は、もともとこのDarwood家が所有していた。
当時既に東南アジアでホテル王として名を馳せていたSarkies Brothersは当時のラングーンの玄関口ともいえる川沿いのこの土地に目をつけ、1901年にストランドホテルを開業する。J. W. DarwoodはSarkies Brothersとパートナーシップを結びこのホテルの開業に関わった(一説によるとホテルの設計をこのJ. W. Darwoodが行ったとも言われている)。
また上述の通り一度は手放したトラム事業に関しても、1902年に再び参入する。
イギリス本国より車両や設備を導入し、今まで蒸気を動力としていたトラムを電化し、その運営会社として1905年にリバプールを本店とするRangoon Electric Tramway and Supply Companyを設立。
そして翌1906年12月15日に最初の電気トラムが開通する。1930年代に入るとトラムからトロリーバスへの切り替えもあったが、1942年に日本軍が進駐するまでの間、ラングーン市民の足として活躍した(なお、占領下の1943年に一時的に一部のトロリーバスが復活していたという)。
なお、こうした功績が認められて、J. W. Darwoodは1939年にイギリス王室よりナイトの称号(Knight Bachelor)を授与されている。
さて、話をこの建築物に戻そう。
1869年のスエズ運河開通によりヨーロッパとアジアの距離は格段に縮まった。1891年にはBibby Line Companyがリバプールとラングーンを結ぶ蒸気船を就航させるなど、19世紀後半から20世紀前半にかけてヨーロッパ人の間でアジア各地への旅行ブームが発生した。
そうした状況もあり、1901年に開業したストランドホテルは順調に客足を伸ばしていき、客室不足の問題が発生するまでになる。
そこで1913年にストランドホテルと道路を挟んで隣地にあったこのDarwood Mansionがストランドホテルの別館として使用されることとなる。
上述の通りラングーンのみならずビルマ全土で商業的に成功を収めていたDarwood家の名を冠したこの建築物は既に高級ホテルとして名を馳せていたストランドホテルの別館として使用する分に遜色ない建物であった。
いつ頃この建物が建てられたかについては定かではないが、こうしてストランドホテルの別館として使用されることとなり、以降はStrand Houseと呼ばれるようになる。
それ以降はストランドホテルとして歴史を歩み、日本による占領時代はヤマトホテルとして、そして1962年にネウィン(Ne Win)によるクーデターでストランドホテルが国有化されると、翌1963年にこのStrand Houseはオーストラリア(1952年国交樹立)に売却され、以降同国の大使館として使用されることとなる。なお、その際にいくらかの改修と増築を行ったという。
こうして現在の姿となったこの建物は、以降半世紀近くにわたりオーストラリア大使館としての歴史を歩んできたが、2018年にオーストラリア大使館がPyay Road沿いのVantage Towerに移転して以降は空き家となっている。
退かぬ!媚びぬ!省みぬ! |
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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