ヤンゴンの北郊外、Yangon City Heritage Listの中でも最も北に位置するこのパゴダは、伝説によれば2500年近く前に建立されたと言う。
小高い丘の上に建ち、中央の巨大なストゥーパの周りを24基の小さなストゥーパが囲むこのチャイカローパゴダは、ミャンマーの歴史の中で現在に至るまで、長きに亘り深い信仰を集め続けている。
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伝承によればこのパゴダはB.C.426年に建立されたという。
インドから仏陀の聖遺物を持った仏教僧がヤンゴンにやってき、時の王は最初の仏教への改宗者となり、彼らはその聖遺物を一般民衆へも開放すべくパゴダを建立することにした。こうしてできたのがこのKyaikkalo Pagodaであると言われている。
(恐らくインドから聖遺物を持ってやってきたのはTapussaとBhallikaの兄弟で、時の王はKing Okkalapaではないかと考えられる。)
また、このパゴダが建つ丘はその建立の前より聖域であったと言われている。
伝承によれば、かつて、過去七仏の1人である倶留孫仏(Kakusandha)がこの地で、不思議な力を持った鬼と勝負を行った。
倶留孫仏は不思議な力を持ったことで傲慢になっていた鬼を改心させるべく鬼の挑戦を受け、倶留孫仏と鬼は交互に隠れた相手を探す、所謂「かくれんぼ」を行った。
結果的に倶留孫仏は鬼を見つけ、鬼は倶留孫仏を見つけることができず、鬼は倶留孫仏の門弟となった。
そしてそのかくれんぼを行った場所、特に鬼が倶留孫仏に服従した丘を古代のモンの言葉で"Kyaik-day-kalo"(仏陀に屈服した地)と呼び、これにちなみこの丘はKyaikkaloと呼ばれるようになった。
なお、倶留孫仏が隠れた場所を同じく古代のモンの言葉で"Kyaik-day-kaler"(仏陀の消えた地)と呼び、チャイカローパゴダの南にあるKyaikkale Pagodaはこれに由来する。
その後、歴史上にこのパゴダの名前が現れるのは、1385年(ビルマ歴747年)である。
この時期に、ハンタワディー朝(Hanthawaddy Kingdom 1287-1539)の王、Razadarit(在位1384-1421)がこのパゴダを「復興」させたという。
現在でもビルマ歴の11番目の月であるTabodwe(グレゴリオ暦1-2月)には盛大な祭りが開催され、各地からやってきた人で賑わうという。
多分これが例の鬼 |
こ・・・これはゴールデンロック・・・? |
参考文献:
James George Scott
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