扉の先には「ビルマ」があった。
一歩足を踏み入れれば、100年以上前に建てられたこの建築物と記憶を共有したかのような錯覚すら覚える。ここには確かに「ビルマ」が存在していた。
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ヴィクトリア様式のシンプルながら洗練された建築物は、1901年の開業から現在に至るまで、最高級の老舗ホテルとしてこの街を訪れる人々を魅了し続けている。
現在ミャンマーを訪れる旅行者はヤンゴン北にあるミンガラドン国際空港に降り立つのが一般的だが、かつてラングーンの玄関口はこのホテルの至近にある港であった。
蒸気船によりラングーンを訪れた著名人(Rudyard Kipling, Somerset Maugham, George Orwell etc...)はほぼ例外なくこのホテルに宿泊したという。
1892年、既にRaffles Hotel(シンガポール:1887年)やEastern & Oriental Hotel(ペナン:1889年)を有し、東南アジアでも有数のホテル王として名を馳せていたSarkies Brothers(Tigran Sarkies/Aviet Sarkies)がラングーンへ進出した。
彼らは同年、British Burma Hotelと呼ばれたホテルを購入しラングーンでのホテル事業を開始する。残念ながらこのホテルはあまりうまくいかず1896年には売却されてしまうが、その5年後に現在まで続くこのストランドホテルが開業された。
もともとこのホテルの建つ土地にはスコットランド人実業家であるJohn William Darwoodが所有する木造の家屋が建っており、Sarkies Brothersは彼とパートナーシップを結び、この地に新たなホテルを建設する。
Sarkies Brothersと同じくアルメニア人が経営するCatchartoor Companyによる施工で完成し、1901年に開業したストランドホテルはすぐにラングーンの最高級ホテルとして名声を高めていった。
開業当時、60の客室を有し、レストランではフランス人シェフによる料理とカスピ海産のキャビアが振る舞われたという。
その後、増加する宿泊客に対応すべく、1913年には東側道路を挟んで向かいにあった建物(Strand House)を別館として使用するなど、ホテルの経営は順調な推移を見せていた。
1925年にSarkies Brothersの手を離れ、同じくアルメニア人のPeter Bugalar Aratoonに売却される。彼は1927年に大規模な改修を行い、この時にポルチコとプールが作られたという。また1937年には客室を100に増加する改修工事も行われた。
1942年に日本軍がラングーンを占領すると、このホテルは兵士の宿舎として転用された。しかしすぐに帝国ホテルから人員が派遣されヤマトホテルと改称して営業を開始する。
1945年に連合軍がラングーンを再び占領し、ストランドホテルとしての営業を再開。なお、ビルマ人の宿泊が許可されるようになったのはこの1945年のことである。
しかしストランドホテルは、そのまま朽ち果てることはなかった。
1989年にAman Resortsの創業者であるAdrian Zechaを中心とした投資家グループとミャンマー政府の間でジョイントベンチャーが設立され、1,200万ドルと3年以上の歳月をかけた改修工事を経て1993年11月4日、ストランドホテルはかつての輝きを取り戻す。
現在は香港を拠点とするGCP Hospitalityに経営が移ってはいるが、「ラングーン」と「ヤンゴン」の歴史を繋ぐ存在として、変わらぬ姿を今に伝えている。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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