コリント式オーダーに支えられた堂々たるファサードは、コロニアル建築が多く残るPansodan Roadにおいても一際存在感を放つ。
かつて「世界最大の内陸水運会社」と呼ばれたIrrawaddy Flotilla Companyの本店として使用されていたこの建物は、1933年の竣工でArthur G.Bray設計、Arthur Flavell & Company施工。
通りから一段奥まった作りは熱帯の直射日光を避け、建物内部の温度を調整する工夫が為されている。
また柱の上に飾られた貝の飾りはかつての繁栄ぶりを誇っているかのようである。
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Irrawaddy Flotilla Company(以下IFC)は1865年にTodd, Findlay & Companyにより設立された。設立当初の名前はIrrawaddy Flotilla and Burmese Steam Navigation Company Limited。
IFCの起源は1852年まで遡る。1852年に勃発した第二次英緬戦争(the Second Anglo-Burmese War)の際に、東インド会社はカルカッタ(Calcutta、現コルコタ:Kolkata)からラングーンへ軍隊や軍需品の輸送を行っていた。
戦後、その輸送に使われいた8隻の船(4つの汽船と4つの平底船)はそのままビルマに残り、政府所有の船として郵便物や物資の河川輸送に使用されることとなる。
1863年にインド政府はこの事業の民営化を決定し、それを受けてTodd, Findlay & Companyが事業及び船舶を含む資産を16,500ポンドで購入し、上述の通りIrrawaddy Flotila and Burmese Steam Navigation Co., Ltd.を設立した。
設立当初は元々の事業であるRangoon-Thayetmyo間の郵便物運送を主業としていたが、すぐに旅客輸送等、事業を拡大していく。
1868年には当時上ビルマを統治していたコンバウン朝(Konbaung Dynasty)のミンドン王(King Mindon)より上ビルマでの営業許可を得、1869年にはBhamoまでその事業範囲を拡大した。
また1869年にはスエズ運河が開通し、イギリス本国との距離が縮まると輸出入を含む人・物の移動が大幅に増加し、事業は急速に発展していく。
1875年にIrrawaddy Flotilla Companyに改組。その時点で13の汽船と29の平底船を所有していたという。なお、これ以降IFCで使用する船はすべてスコットランドのダンバートン(Dumbarton)にある造船所(William Denny & Brothers)のものだけとなっていく。
1885年には第三次英緬戦争(the Third Anglo-Burmese War)が勃発。その際に一部の船は戦時徴用され軍隊輸送や病院船として使用された。またコンバウン朝の降伏により終戦を迎えると、同王朝最後の王であるティーボー(King Thibaw)及びその家族は英領インドのラトナギリ(Ratnagiri)へ流罪となる。
この際王宮のあったマンダレーからラングーンへ彼らを運んだのもIFCの船である。
戦後さらに事業を拡大していき、ビルマの経済発展とともに1920年代には最盛期を迎え、622の船と4,000人以上のスタッフを抱え、年間800万人と125万トンの貨物を輸送しており、上述の通りの「世界最大の内陸水運会社」と呼ばれ、栄華を極めた。
しかし1942年の日本軍によるビルマ侵攻作戦が始まると、IFCの時代は終わりを迎えることとなる。
イギリス軍の撤退に際し、IFCの船舶はギリギリまで避難民や物資の輸送を行っていたが、最終的に船舶の日本軍による接収を避けるために所有していた船舶の大半を自身の手によって破壊し、沈めることとなった。
1948年にビルマがイギリスから独立すると、6月1日にはビルマ新政府により残ったすべての資産は接収されてしまう。
そして1950年6月26日に、正式に会社清算の手続きが為され85年にわたる歴史に幕を閉じた。
ビルマ政府による接収の後、IFCはInland Water Transport Boardとなり、この建物もその本店として使用されることとなる。
その後、1972年3月1日にInland Water Transport Corporationへ、1989年4月1日から現在の名称であるInland Water Transportと変遷はあるものの、一貫してミャンマー国内の河川輸送を担っている。
現在Inland Water Transportは258の船舶を有し、年間1,500万人と207万トンの貨物を輸送しているといわれている。
余談だがIFCが使用していたDalla Dockyardは現在も現役のドックヤードとして使用されており、そこには当時グラスゴーから輸入した設備が多数残っているという。
Dala Dockyard
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
Harvard University Press (2015-09-07)
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