赤煉瓦と白い塗装が青空によく映える、尖塔を有した教会はかつて"Scot's Kirk"と呼ばれ当時ラングーン在住のスコットランド人たちにとって重要な場所であった。
1928年に建てられたこの教会は、かつては長老派教会として、そして現在はメソジスト派の教会として、高齢の人々からは未だに"Scot's Kirk"と呼ばれ親しまれている。
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長老派教会(Presbyterian)は第二次英緬戦争(the Second Anglo-Burmese War : 1852-1853)以降に移民や軍人によってラングーンにもたらされたと言われている。
当時は小さなコミュニティでしかなかったが、1873年にG. Fordyceにより長老派教会組織が設立され、その後1875年に現在の土地を購入し教会が建設された。この教会は正式名称を"Saint Andrew Church"と言うが、後述する教会の特徴から一般的に"Scot's Kirk"と呼ばれていた。
ビルマにおける長老派教会の信徒はそのほとんどが出自をスコットランドに持っていた。
当時のビルマは「スコットランドの植民地」と揶揄されるほどにスコットランド出身者たちの影響が強く、実際にBulloch Brother & Co.,(1850年ラングーン進出)やIrrawaddy Flotilla Co.,(1865年設立)、J & F Graham Co.,(1898年ラングーン進出)といったスコットランド系企業がビルマ経済の中心におり、行政側にもその名をScott's Market(現在のBogyoke Aung San Market)として刻まれた弁務官のGavin Scott(在任期間:1917-1930年)などがいた。
こうして財政界とも繋がりが強く、強力な支援をうけていった長老派教会はスコットランド人の隆盛とともに成長を続け、彼らの信仰の中心として存在感を増していった。
1928年には古い教会を取り壊し、現在の教会が新たに建設され、その信徒のほとんどをスコットランド人が占めたことから上述の通り"Scot's Kirk"と呼ばれていた。
しかし、第二次世界大戦の際の日本軍による進駐、また1948年にはビルマがイギリスから独立を果たすと、ほとんどのスコットランド人はビルマの地を去り、自国へと戻っていった。
長老派教会はその他プロテスタント諸派と違いビルマにおける宣教活動をほとんど行っておらず、スコットランド人がビルマを去ることは、ビルマから長老派がいなくなることとほぼ同義であった。
こうして長老派の減少により、結局1965年にこの教会はメソジスト派の手に渡り、同派のミャンマー南部を統括する本部として使用されることとなった。
現在まで基本的にはメソジスト派の教会として、また日曜日の午前中はバプティスト派が場所を借りて礼拝を行っており、こうした事情からこの教会を"Myoma Ethnic Baptist Church"と呼ぶ場合もある。
なお、現在のミャンマーのおける長老派はチン族を中心に少数ながら存在する。
この長老派はインドのミゾラム州(Mizoram State)からチン州へと宣教を行ったグループが始まりであり、当時ラングーンにいたスコットランド人たちとは関係がない。
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参考文献:
Gregg Intl Pubns
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