ダウンタウンの中心、スーレーパゴダの至近にあるこのモスクは、1862年創建と言われるスンニ派モスクで、現在のモスクは1902年に再建されたもの。
その後1992年と2002年に比較的大規模な修復工事を行っている。
その名前が示す通り、ベンガル地方出身のムスリムたちにより建てられたと考えられているが、東ベンガル地方のチッタゴン(Chittagong)からの移民が建てた説と、西ベンガル地方のカルカッタ(Calcutta、現コルカタ:Kolkata)からの移民により建てられ、後、チッタゴンから来た移民に引き継がれた説がある。
どちらにせよ、ベンガル地方出身のムスリムにとって重要なモスクである。
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第一次英緬戦争(the First Anglo-Burmese War : 1824-1826)、第二次英緬戦争(the Second Anglo-Burmese War : 1852)を経て、イギリスはコンバウン朝から下ビルマを割譲された。
下ビルマはイギリス領インド帝国のビルマ州(厳密には準州扱い)となり、インドからの移民が増加することとなる。
ラングーンの国勢調査によれば、1872年に15%程度であったインド人人口は1881年には50%近くまで急増しており、これはビルマでの労働力不足を補うために、官民のバックアップのもと移民流入を推奨したからである。
加えてイギリス植民地下のインドではかなりの頻度で大規模な飢饉が発生しており(1886年オリッサ飢饉、1873-1874年ビハール飢饉等)、これらもインドからの移民流入を加速させる要因となっていた。
インドからの移民は、Surat出身者のように商業的な成功をおさめたものも一部ではいたが、その大部分はマドラス州やベンガル州からきた下層カーストの人々で、港湾労働や苦力といった肉体労働者であり、彼らは数年するとインドへ戻っていく短期移民であった。
しかしながらその中でも一部はラングーンに定住し、その子孫たちがこのモスクを守りながら、Bengaliの名前とともに彼らの出自を現在に伝えている。
なお、2008年に当時の国連事務総長特別顧問としてヤンゴンを訪れたIbrahim Agboola Gambari氏は、訪問の際にこのモスクを訪れているという。
余談だが、Gambari(ガンバリ)氏はその名前から日本の極所で一時的に流行した。
Dom Pub
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