5th Blue Plaque
繊細な細工が施された柱廊式玄関が特徴的な、1908年竣工の建築物。設計者不明。Yangon Heritage Trustにより2015年5月に5番目のBlue Plaqueに指定されている。
もともとこの建物はスコットランドの貿易・精米会社であるBulloch Brothers & Companyのラングーン支店として建てられた。
Bulloch Brothers Co.,はGlasgow出身のJames BullochとGeorge Bullochの兄弟によって1840年ごろに設立され、設立当初はアキャブ(Akyab:現Sitwe)を中心に海運及び保険の代理店を行っていた。
1850年代にラングーンに進出し精米所の経営に乗りだし、自社を「東方最大の米粉会社」と称するほどになった。実際にラングーン(Rangoon:現Yangon)、バセイン(Bassein:現Pathein)、アキャブ(Akyab:現Sitwe)、モールメイン(Moulmein:現Mawlamyaing)に精米工場を有し、当時ビルマの四大精米業者(Bullochを含む四社は"Bullinger Pool"と呼ばれる連合を1921年に設立)の一角を占めるまでになった。
しかし1929年10月24日の「暗黒の木曜日(Black Thursday)」に端を発した世界恐慌の影響から、1933年には会社を清算することとなる。
会社清算とともに1908年に建てられたこの建物も当時の英国植民地政府に買い取られることになる。
ラングーンの郵便システムは1854年に開始された。
もともとの中央郵便局はストランド通り(Strand Road)と32番通り(32nd Road)の角にあり、その線条細工を用いた繊細な装飾は目を惹くものであったという。
残念ながら1930年5月5日にラングーンを襲ったM7.3の地震により大きなダメージを受け、現存はしていない。
地震により新たな中央郵便局が必要となったが、世界恐慌の影響から予算が限られており、結果的に1933年に清算したBulloch Brothers Co.,から買い取った建物を利用することとなる。1936年に北側に隣接する土地も併せて買い取り、新たに下水設備や電気設備を導入し新しい中央郵便局としての歴史が始まった。
ちなみに1931年にラングーン大学(現ヤンゴン大学)を退学した若きNe Win(当時はShu Maung)も郵便局員としてこの建物で働いていたという。
現在もこの建物は中央郵便局として役割を替えずに使用されており、ヤンゴンのコロニアル建築群の中では珍しく内部が観光客に一般開放されている。
Strand Square(旧Post Office跡地) |
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
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