ストランド通りに位置する、非常に良く管理された4階建ての白亜の建物。
1900年の竣工で設計はJ.G. RobinsonとG.W. Mundy。
もともとはスコットランドのグラスゴーを本店とする船舶保険会社、J & F Graham Companyのラングーン支店。
J & F Graham Co.,は1898年にラングーン支店を開設。
船舶保険の他にもビルマの米輸出を中心とした輸出入業務も行っていた。
船舶保険に関しては船舶火災・エンジントラブル・積荷の盗難(使用人によるものを含む)が含まれていた。
余談だが同社はRowntree(現・Nestlé)の商品も輸入をしていた。
Rowntreeは1862年にYorkで設立された菓子製造会社で、日本人にも馴染みのあるキットカット(Kit Kat)やエアロ(Aero)といった商品を販売しており、キットカット/エアロの発売が共に1935年(キットカットの商品名は1937年から)であることを考えると当時のラングーンの富裕層の間では"Have a Break, Have a Kit Kat!"が合言葉になっていたのかもしれない。(*"Have a Break, Have a Kit Kat"のフレーズは1958年にできたもの。)
なお1941年-1946年の同社の取引記録にもラングーンへの販売(輸出)が記録されている。
1947年にビルマが独立を達成した後、この建物はイギリス大使館になった。
現在のイギリス大使館にはBritish Council(英国文化振興会)も併設されている。
British Councilは1946年にラングーン事務所を開設、当初は55 University Avenueにあり1948年にRander House内へ移転するとともに、British Councilをオープンした。
1966年、クーデーターによって政権を握ったNe Winにより、蔵書の処分とBritish Councilの閉鎖命令がでたことから、その他の諸外国の文化施設とともに一時閉鎖した。
その際、処分命令が出ていたBritish Council所有の蔵書や学術書の一部を秘密裏に保存したのがMonica Mya Myaung(参考:The Irrawady : The Woman Who Saved Burmese History)である。
その後、閉鎖を命令したNe Win自身による要望により1978年にイギリス大使館内に文化部門を再開、そして1996年に教育部門を開設し現在もミャンマー人を中心に英語教育の場となっている。
ストランド通りに面する正面玄関がイギリス大使館に、東側エントランスがBritish Councilの入口となっている。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Borthwick Institute Publications
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