ヤンゴン川沿いにある、高さ40mのストゥーパ(仏塔)を誇るこのパゴダは、伝承によれば2500年以上前に建立されたヤンゴンでも最も古いパゴダの一つに数えられる。現存するパゴダは1953年に完成したもの。
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仏陀(Goutama Buddha)へ初めて帰依した在家信者と言われているタプッサとバッリカ(Tapussa / Bhallika)の兄弟は、インドで仏陀と出会い、その髪の毛を8本もらい受けビルマへと戻っていった。
しかしビルマへの道中、役人やナガーミンと呼ばれる蛇の王にそれぞれ2本ずつの頭髪を奪われてしまい、ビルマに戻った時には4本しか残らなかった。
彼らは仏陀の聖髪を携えヤンゴンへ戻り、現在このパゴダが建つ場所に上陸したという。その際は時の王であったオッカラパ王(King Okkalapa)が1,000人の兵とともに彼らを迎え入れた。なお、Boは将軍、Tahtaungが数字の1,000を意味し、この地名の由来となっている。
兄弟は王に道中で8本のうち4本を奪われてしまった状況を説明するとともに聖髪の入った箱を渡したが、この際に王が箱を開けると不思議なことに4本しかないはずの聖髪が8本すべて揃った状態で入っていた。
こうして全て揃った状態となった8本の聖髪は6ヶ月の間、兄弟が上陸した場所に聖殿を作りそこに奉納されることとなる。
王はこの聖髪を奉納するためのパゴダ建立を命じ、シングッタラ(Singuttara Hill)と呼ばれる丘にパゴダが建立される。このパゴダが現在までミャンマー最大の聖地として有名なShwedagon Pagodaである。
なお、シングッタラへ聖髪を運ぶ道中の出来事についてはShwebonpwint Pagodaを参照。
また王は兄弟にこの旅の褒美として8本の聖髪のうち1本を下賜し、彼らの選んだ場所にパゴダを建立する許しを与えた。兄弟は聖髪が6ヶ月の間奉納されていたこの地にパゴダを建立することを決め、こうしてBotahtaung Pagoda(モン語:Kyaik De Att)の歴史が始まる。なお、モン語のKyaikはパゴダ、De Attは届くの意で彼らが聖髪を携え最初にこの地に上陸したことに由来する。
こうして仏陀の聖髪を奉納されてできたパゴダは、ミャンマーの歴史の中で多くの権力者たちの庇護のもと、改修や寄付を受けた。
しかしながら1943年11月8日、川沿いの港湾施設を目標としたイギリス空軍(Royal Air Force : RAF)による爆撃の際に破壊されてしまう。
戦後の1948年にビルマがイギリスから独立を果たすとすぐにこのパゴダの再建が決定され、5年の歳月を経て1953年に完成した。この再建の際、破壊されたパゴダの中から聖髪を含む多数の宝物や碑文が発掘され、これらは現在までストゥーパ内部にて展示されている。
2018年から大規模な改修工事が行われ、ストゥーパの最上部にあるティ(傘飾り)などが新調された。
また敷地内にはコンバウン朝(Konbaung Dynasty)ミンドン王(King Mindon:)の時代に作られた仏像も安置されている。この仏像は第三次英緬戦争(the Third Anglo-Burmese War : 1885)の際にマンダレーの王宮からイギリス本国へと奪われていたもので、戦後、イギリスへの返還要求の結果1951年にミャンマーへと戻ってきたものである。
なお、本記事に記した伝承は1950年代半ば頃から知られるようになったもので、それ以前にはPada(現Thanlyin)の王であったKing Bawgathenaがスリランカから聖髪を譲り受けて奉納したのが始まりといった説やThaton Kingdomの時代に聖髪を奉納したのが始まりといった説が信じられていたと言われる。
再建から2018年まで使用された飾り |
聖髪が入っていたといわれる |
ミンドン王の時代に作られた仏像 |
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