建物正面入口上部に残る社章と、窓に残されたNHMの装飾がこの建物のルーツを今に伝えている。
現在Myanma Economic Bank Branch 4とFirst Private Bankとして使用されている建物は1920年代に建てられたもので、1824年に設立されたNetherland Trading Company(蘭:Nederlandsche Handel-Maatschappij : NHM)のラングーン支店であった。
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NHMはネーデルラント王国の初代国王であるウィレム一世(William I)主導により、1824年にハーグ(Hague)にて設立された(後、本店はアムステルダムに移転)。
しばしばオランダ東インド会社(Dutch East India Company : 1602-1799)の後継会社とも言われるこの会社はオランダ領東インド(現インドネシア)を中心としたオランダ海外植民地における貿易の拡大と、フランス革命戦争(the French Revolutionary Wars : 1792-1802)とそれに続くナポレオン戦争(the Napoleonic Wars : 1803-1815)により疲弊した本国経済の立て直しを目的として設立された。
1826年にはBatavia(現Jakarta)にバタヴィア本社を設立。その後も1858年にシンガポール、1888年ペナン、1889年香港、1906年上海と海外支店を増やしていく。
19世紀中頃には所謂「強制栽培制度」により莫大な利益を上げるとともに銀行業へも進出していった。
ラングーンへの進出年に関しては正確なことは定かではないが、1905年のラングーン商工会のメンバーにその名を連ねており、遅くともその時までにはラングーン支店を開設していた。
進出後はラングーンにおける存在感を高めていき、1920年代中頃には現在の場所に移転し、新たに現在まで残るこの建物をラングーン支店として建設。以降、日本軍によるラングーン進駐までの間、当地でラングーンにおける主要銀行としてビルマ経済界の重要な役割を担っていった。
日本軍の進駐により、その他の金融機関同様一時的にラングーンを離れることとなるが、戦後再び当地に戻り営業を再開し、後述する1963年まで営業を続けた。
またNHM自体は戦後に更なる支店拡大を行い、海外支店網を充実させていくこととなる(1951年ケニヤ、タンザニア、1954年ベイルート、ウガンダ等)。
ただしインドネシアの支店については1960年にインドネシア政府により国有化されてしまう。
インドネシアのNHMが国有化されてから2年後の1962年、ビルマにおいてもネウィンによるクーデターにより政治体制が一変し、所謂「ビルマ式社会主義」を標榜することになる。
そのため翌1963年2月23日に全ての国内銀行の国有化が行われ、当時ビルマ国内に存在した14の外国銀行と10の地元銀行は"People's Bank of Burma"となる。なお、No.1-14が外銀に、No.15-24が地元銀行にそれぞれ振り分けられ、NHMは"People's Bank of Burma No.13"となった。
その後1972年にPeople's Bank of Burmaは"Union of Burma Bank"に改称し、1975年の"Bank Act"によりUnion of Burma Bankは下記の四行に分割される。
1. Union of Burma Bank
2. Burma Economic Bank
3. Burma Foreign Trade Bank
4. Burma Agricultural Bank
1989年にビルマからミャンマーへの国名変更にともないMyanma Economic Bankと改称され、この建物も現在まで西半分をMyanma Economic Bank Branch 4として、東半分をFirst Private Bankとして営業しており、2019年1月には西側の外装塗り直しも行われた。
なお、NHMは1964年にDe Twentsche Bankと合併しAlgemene Bank Nederland(ABN)に、1991年にAMRO Bankと合併しABN AMRO Bankとなり、現在まで存続している。
Arnold Wright
Graham Brash (Pte.)
Nordic Inst of Asian Studies
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