美しい装飾を施された22本のミナレットとそれに付随する小塔が印象的なモスクは1908年に7年の歳月をかけて建てられたスンニ派のモスクで、建立の中心人物であったインド出身の実業家であるMasedi Khanの名前をとってMasedi Khan Sunni Jamah Mosqueと呼ばれている。
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イギリスによるビルマ併合以降、労働力を求めた植民地政府の思惑もありインドからの移民は増加の一途を辿っていた。特にラングーンの人口増加は著しく、それとともに治安の悪化も深刻な問題となっていった。
こうした治安悪化の原因の一つとなったのが、このモスクを建設したMasedi Khanである。彼はギャング団を組織し、賭博場の運営や強盗団の組織といった違法行為により財を成していく。
The Straits Timesによれば、1923年12月6日にダウンタウンでMasedi率いるギャング団に属する男たちと、別のギャング団に属する男の間で口論から流血沙汰が発生し、駆け付けたMasedi Khanとその息子も大きな怪我を負って警察に保護される事態になったという。また記事内で彼を「ビルマで最も知られた人物」として取り上げている。
それ以外にも彼の名前はラングーン警察の年次報告の中に毎年のように現れ続けていたという。
経緯はともかくとして、その圧倒的な財力により建てられたモスクの美しさはヤンゴンでも有数のものであるだろう。
現在まで数度の地震(特に1930年5月の地震による被害は大きかったという)により屋根やミナレットに被害を受けてきたが、そのたびに修復を行い現在まで変わらぬ姿を見せている。
また1962年にネウィンによるクーデターが発生するまではモスクの付設神学校(マドラサ)も併設されており、最盛期には300人ほどの生徒がいたという。
参考文献:
Gregg Intl Pubns
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