ヤンゴン東郊外のティンガンジュンはイギリス植民地時代、緑豊かな田園地帯であり、インドからの移民が多く住んでいたという。
インド系移民の中でもムスリムが多く住んでいた地域であるが、1934年の時点で400人程度のタミル人キリスト教徒(カトリック)も存在していた。
Saint Joseph's Catholic Churchはそうしたタミル人クリスチャンコミュニティのために建てられた教会で1954年竣工。
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当時この地域には少数ながらクリスチャンのコミュニティが存在していたが、小教区は設置されておらず教会も存在していなかった。
そんな中1934年に信徒たちの間で会議が行われ、教会とそれに付随する学校の建設が議題にあがった。この会議はSaint Anthony's Churchの教区司祭であったCharles MarieRoch Henri Dessalle(1888-1941)を中心に進められ、ティンガンジュンに教会と学校を建設することが決められた。
こうして建設が決まり、学校は比較的早い段階で建てられたが教会に関しては計画通りに進まなかった。そんな中1937年に現在教会が建っている土地を教会の建設用地とするチャンスが巡ってきた。
元々この土地は1920年に植民地政府がイギリス国教会に対して教会用地として無償で提供したものであったが、1937年の時点で建設は始まっておらず、植民地政府から建設の開始もしくは土地の返却を求められていた。
イギリス国教会の当時のラングーン教区司教であったGeorge Westはこの土地の返還を決めたが、この話を聞いたCharles DessalleはGeorge Westに対しこの土地をカトリック教会用地として使用できるよう植民地政府に掛け合うように依頼をした。
この願いは聞き入れられ、1938年5月20日に正式にイギリス国教会からカトリック教会ラングーン教区へ土地の譲渡が行われた。
翌1939年に教会の建設工事が始まったが、不幸なことに同年第二次世界大戦(World War II : 1939-1945)が勃発し建設工事は中断してしまう。
結局教会の完成は1952年まで待たねばならなかったが、その間も建設中の教会でミサは行われていたという。
1954年11月21日に献堂式が行われ、それまではTamwe小教区の一部であったティンガンジュンにも小教区が設立されることとなる。
以降はイタリアの修道会であるサレジオ修道会(Societas Sancti Francisci Salesii)のUbaldo Bordinが教区司祭としてティンガンジュン小教区を管理していたが、1962年のクーデターにより外国人宣教師が国外追放となり、1975年にはサレジオ修道会がラングーンから撤退することとなり、以降ラングーン教区の管理に戻る。
ティンガンジュン小教区は2004年の時点で1544名の信徒を抱え、現在は信徒の90%近くがタミル人であるという。
ミサはタミル語、ミャンマー語、英語で行われている。
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