4th Blue Plaque.
100フィートの高さを誇る火の見櫓は、かつてこの辺りでは最も高い建物であり、100年以上に亘りヤンゴンの街を火災から守る役割を果たし続けている。
1912年に竣工したこの建物はUnited Engineers Limitedによる設計で、6角形の火の見櫓が特徴的。
2014年10月、Yangon Heritage Trustにより4番目のBlue Plaqueに指定された。
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木造建築の多かったイギリス植民地時代のラングーンにおいて、火災は常に住民にとっての恐怖の対象でありその対策は当局にとっても重要なものであった。
当局は1875年に4台の消防車を購入し、併せて梯子やバケツといった装備も整えたが、これは街の火災に対して十分なものとは言えなかった。
当時の消防システムは現代とは違い、水のタンクを備えた車両を人力で運び、また放水も人力で行う原始的なものであった。
また職業消防士という存在もおらず、ボランティアにより人を集めている状況であった。
1877年にはラングーン西部のKemmendine(現Kyimyindaing)で400件の家が燃える火災が、またその後も東部のPazuntaungで278件の家と市場が燃える火災が発生するなど、高い頻度で大きな火災が発生していた。
こうした火災に対する当局の対応は十分なものとはいえず、住民からは大きな不満が起こっていたという。
特に1880年12月14日にEdward Street(現Konzedan Street)で発生した火災に対して、地元紙のRangoon Gazetteが当局の防災システムへの批判記事を掲載し、これを契機に当局は本腰を入れて火災対策に取り組むこととなる。
この火災の後すぐに2台の蒸気ポンプを搭載したMerryweather & Sons社製の消防車が注文された(ただしこの消防車も人力での牽引を前提にしていたが)。
また1883年には初めて消防団が結成され、翌1884年にはDalhousie Road(現Maha Bandula Road)に消防署が建設された。この時になってようやく人力による手法が改められ、馬に牽引される消防車が導入された。
ただしこの時の消防団は近隣にあるSt Paul's High SchoolとSt. John's High Schoolの生徒たちにより組織されたもので職業消防士というものではなかった。
1896年にようやく職業消防士による消防団が結成され、アジアにおける大都市の一つに成長したラングーンにようやく消防システムも追い付いてきた。
1909年には自動車による消防車が導入され、そして1912年に100フィートに及ぶ火の見櫓を有したこの消防署が完成した。
ラングーンにおける消防システムの導入はこの時点で1つの区切りを迎え、近代的な消防システムが整備されたが、当時のラングーンは慢性的に飲料水を含む水の供給不足であり、火災による被害は大きな改善を見せることはなかったという。
現在もこの建物は消防署として使用されており、近代化した消防車とともにヤンゴンの街を守り続けている。
なお、2017年10月にはカンドージパレスホテル(Kandawgyi Palace Hotel)が全焼し日本人を含む2名が亡くなるなど、残念ながら現在でもヤンゴンの火災対策は万全とは言えないだろう。
参考文献:
Dom Pub
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