広東省出身の華僑たちにより建てられたヤンゴン最古の中国寺院。
1823年の創建だが、創建当初の建物は1855年12月の火事により焼失してしまっている。
現在の建物は1868年に完成したもの(1864年着工)。
また1872年に2つのレンガ作りの建物が本堂の両側に増築された。
大慈大悲を本誓とする観音菩薩を祀る。
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イギリス植民地時代のビルマにおいて、中国からの移民は主に広東省と福建省から来ていた。
両者はDalhousie Road(現Maha Bandula Road)を境に南北で居住区を異にしており、福建省からの移民がKheng Hock Keong(慶福宮)を中心にチャイナタウンの南側に、広東省からの移民はこのGuangdong Guanyinを中心に、チャイナタウンの北側にコミュニティを形成していった。
福建移民が交易を生業としたのに対し、広東移民は大工や職人、小売商人などが多かったという。
しかしながら第二次世界大戦を前後して、多くの広東系移民はビルマを離れていってしまい、広東を起源とする人々は現在ではほとんど残っていないという。
かつての広東移民のエリアは現在では夜になると屋台やレストランで賑わう、ヤンゴンの主要観光地の一つとなっている。
参考文献:
University of Washington Press
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