18th Blue Plaque.
神殿を思わせる巨大な新古典主義建築は、かつてインド準備銀行(Reserve Bank of India)のラングーン支店として1939年に建てられた。
G. Douglas Smart(Palmer & Turner:現P&T Architects and Engineers)による設計でMyanma Economic Bank Branch-2(Chartered Bank)も彼による作品。
2015年12月にヤンゴン証券取引所として新しい役割を与えられ、建設から現在に至るまでミャンマー金融界の中心であり続けている。
2017年5月、Yangon Heritage Trustにより18番目のBlue Plaqueに指定された。
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インド準備銀行は1935年4月1日にインド準備銀行法(Reserve Bank of India Act, 1934)により英領インド帝国の中央銀行として設立された。設立時の本店は Calcutta (現Kolkata)、1937年にBombay (現Mumbai)に移転。インド独立後の1949年に国有化。
1937年にラングーン支店を開設。同年4月1日、ビルマはインドから分離し英領ビルマとなったが、以降もビルマに独自の中央銀行が設置されることはなく、同行がインド、ビルマ両国の中央銀行としての役割を果たし続けた。
インドからの分離後もインドルピーはビルマの通貨としての役割を維持し続けたが、ビルマ領内では独自のルピーが発行されていた。
第二次世界大戦勃発後の1942年3月に日本軍によりラングーンの占領がされると、同年12月7日に"People's Bank of Burma"が設立され、この建物を引き継いだ。
独立後の1948年4月3日、"The Union Bank of Burma"が設立され、インド準備銀行を引き継ぐ形でビルマの中央銀行となり、引き続きこの建物も使用され1952年7月1日に初めてチャット紙幣が発行された。
1962年、ネウィン(Ne Win)によるクーデターにより政治体制が一変し、所謂「ビルマ式社会主義」を標榜することになる。
そのため翌1963年2月23日に全ての国内銀行の国有化が行われ、当時ビルマ国内に存在した14の外国銀行と10の地元銀行は"People's Bank of Burma"となる。
1967年の"the People's Bank of Union of Burma Act"により上記の24行とUnion Bank of Burmaを1つに統合し新たに"the People's Bank of Union of Burma"が設立(いわゆる「モノバンク制度」の導入)され、この建物はその本部として使用された。
同行は1972年に"Union of Burma Bank"に改称され、1975年の"Bank Act"により下記の四行に分割される。
1. Union of Burma Bank
2. Burma Economic Bank
3. Burma Foreign Trade Bank
4. Burma Agricultural Bank
この際この建物は中央銀行であるUnion of Burma Bankとして使用され、1990年の"Central Bank of Myanmar Law"により設立されたCentral Bank of Myanmarが引き続き中央銀行として使用していた。
1993年にCentral Bank of MyanmarはYankin Townshipへと移転し、その後は国軍系複合企業である"the Union of Myanmar Economic Holdings Limited(UMEH、1990年設立)"傘下のMyawaddy Bank本店が入ることとなる。
そして2014年末、この建物は改修されヤンゴン証券取引所(Yangon Stock Exchange)へと生まれ変わった。
周知の通り、この証券取引所設立は大和総研と日本取引所グループによる長年の取り組みが実ったものである。
なお、出資比率は
・大和総研(30.25%)
・日本取引所グループ(18.75%)
・Myanma Economic Bank(51%)
で2015年12月9日に証券取引所としてオープンし、今後もミャンマー金融界の中心としてその役割を果たしていくだろう。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Nordic Inst of Asian Studies
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