Cの文字が一つとれてしまってはいるが、ペディメントに現在も残る
A Scott & Co
ERE TED 1902
の文字が示す通り、1902年に建てられたこの建物はかつてA. Scott & Companyの本店であった。
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A. Scott & Companyは1855年、グラスゴー出身のAlexander Scottにより設立された。
設立当初は小売業を中心に、その後徐々に多角化経営をはじめワインや蒸留酒の輸入、葉巻の輸出、炭酸水の製造販売、株の仲買人や銀行業にも事業を広げていく。
特にChrootsと呼ばれるビルマ葉巻は、イギリス本国で当時大変な人気であったという。
当時のビルマは「スコットランドの植民地」と揶揄されるほどにスコットランド出身者たちの影響が強く、実際にBulloch Brother & Co.,やJ & F Graham Co.,、Irrawaddy Flotilla Companyなどといったスコットランド系企業がビルマ経済の中心にいた。
詳細については不明な部分も多いが、A. Scott & Co.,もビルマ経済界において中心的な役割を担っていくことになる。
第二次世界大戦からビルマ独立にかけ、当地から撤退する企業が多かった中でA. Scott & Co.,は引き続き事業を継続していた。
しかし、1959年に国軍系企業である"Defence Services Institute(1961年5月に"Burma Economic Development Corporation"に改組)"により買収され、その歴史に幕を下ろすこととなった。なお、DSIはA. Scott & Co.,の買収と同時にAva Bankを設立し、同社の銀行事業を引き継ぐこととなる。
その他の金融機関と同様、Ava Bankは1963年2月23日に"People's Bank of Burma No.15"へと改組された。
その後1972年にPeople's Bank of Burmaは"Union of Burma Bank"に改称、1975年の"Bank Act"によりUnion of Burma Bankは下記の四行に分割される。
1.the Union of Burma Bank
2.the Burma Economic Bank
3.Burma Foreign Trade Bank
4.Burma Agricultural Bank
この建物がその際にどの銀行になったかは不明だが、それ以後については1996年7月に設立されたYCDC Bank(緬:Sibin Tharyar Yay Bank、現在はRural Development Bankに改称)がこの建物を本店として利用しており、またMyanmar International Insurance Company(MIIC)もこの建物に入居していた。
2006年に首都がネピドーに移ってからしばらくしてYCDC Bankもネピドーへ移転し、それ以降は使用されておらず、現在は一般住居になっている模様。
正面入り口はすべて封鎖されており立入不可。正面右側の入口には現在もMIICの文字が残る。
参考文献:
Nordic Inst of Asian Studies
Dom Pub
Iseas-Yusof Ishak Institute
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