総延長6,000㎞を超えるミャンマー鉄道網の玄関口であるヤンゴン中央駅は1954年に完成した。
1946年に着工され、設計はHla ThwinとSithu U Tinによる。
もともとは同じ場所にヴィクトリア様式の旧ラングーン駅舎があったが、日本によるラングーン侵攻の際、撤退するイギリス軍によって破壊されてしまった。
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ビルマ鉄道の歴史
ビルマにおける鉄道の歴史は1877年5月1日に英領インド帝国ビルマ州(厳密には準州)の州都であったラングーンと当時まだコンバウン朝(Konbaung Dynasty)が支配していた上ビルマとの国境であるProme(現Pyay)を結ぶ鉄道が開通した時まで遡る。ビルマにおける鉄道敷設計画は第二次英緬戦争後にイギリスが下ビルマを併合したころより存在しており、1869年に上記路線の敷設許可が下り、1874年に着工、そして上述の通り1877年5月1日に最初の蒸気機関車がラングーンを出発した。
なお、この時最初の蒸気機関車が発車したのはKemmedine(現Kyimyindaing)駅であり、ビルマ鉄道の始点はこの場所となる。
またこのRangoon-Prome間に関してはIrrawaddy Valley State Railwayが運営・管理を行っていた。
1881年には同じく上ビルマとの国境であるタウングー(Taungoo/Toungoo)線の敷設工事が始まり、1885年7月1日に開通。こちらの運営・管理はSittang Valley State Railwayによる。
翌1886年に第三次英緬戦争の結果、イギリスはビルマ全土を併合し、1889年にタウングー線を延伸する形でマンダレーまで路線網が拡張される。
そして更にマンダレーから北、ビルマ最北の要都ミッチーナ(Myitkyina)への路線は1890年に着工、1899年に開通。こちらの管理・運営はMu Valley State Railway。なおこの路線についてはイラワジ川(現Ayeyawady River)があったため、対岸のSagaingを始点としている。
1896年に上記の三社(Irrawady/Sittang/Mu)は統合され、Burma Railways Company Ltd.が誕生。これ以降も下記の通り、第一次世界大戦期を除きビルマの鉄道網は拡張を続けていく。
参考:新規鉄道敷設距離
1877-1896年:867.8km
1896-1914年:1143.1km
1914-1920年:38.6km
1920-1936年:730.9km
1896年の三社統合から1928年の間はイギリス人投資家達による委任経営という形態をとっており、1929年1月より委任経営を終えて国有化され、名称もBurma Raiways Company Ltd.からBurma Railways(BR)となる。
そして1937年にインドから分離する際、インドより3億4690万Rsで売却され、分離後45年間の年賦により償還を行う予定であったが、独立後本件がどうなったかは不明。
なお1938年度における年間乗客数は1,900万を数え、ラングーン駅の発着数は約180本/日であったという。
加えて年間輸送貨物は400万トンを超え、そのうち20%近くが米であった点は、ビルマにおける鉄道がその敷設当時から本来の目的を大きく変えていないことを示している。
またラングーン~マンダレー間を18時間で走破し、「一等車の設備は全く快適」であったという。これは現在のラングーン~マンダレー間における夜行列車の所要時間とほぼ同じであり、80年以上が経過した21世紀である現在と、既に同水準の速度で走っていたことは特筆すべきだろう。
1942年に日本軍がラングーンへ侵攻する際、撤退するイギリス軍によりインフラの破壊が行われ、ラングーン駅を含め駅舎・鉄道網は大幅な被害を受ける。
1942年時点で3,313kmあった鉄道も、戦後は1,085kmまで減少しており、2,000km近くが破壊されてしまったことになる。
しかしながら独立後に新たなラングーン駅の建設とともに破壊されたインフラの復興も進んでいき、1961年には戦前に近い水準(3,020km)まで回復した。
1989年に国名変更とともにBurma RailwaysからMyanma Railwaysに改称。クーデターにより政権を奪取した軍政は積極的な鉄道網の拡張路線を採用し、1989年から2000年の間で総延長は3,162kmから5,068kmまで伸びている。
2000年以降も着実に新規路線が開通しており、2014年時点で総延長6,000kmを超えるといわれている。
ただし軍政以降の鉄道網拡張については、軍事的な要因や汚職を含む様々な利権問題が絡んでいるという指摘もあり、インフラ整備という面から見た場合、その拡張に意味があったのかどうかは疑問である。
参考:Yangon's railroad to nowhere
ラングーン駅(ヤンゴン駅)
詳細に関しては不明な点もあるが、一般的には1877年に現在のヤンゴン中央駅が建つ場所にヴィクトリア様式の旧ラングーン駅舎が建築されたと言われている。建設当時は現在の駅舎と反対側の、線路を挟んで南側に建てられており、1911年に北側への拡張工事が行われた。
その美しさから"Fairy Station"と呼ばれていたが、上述の通り1943年にイギリス軍により破壊されてしまった。
破壊されたラングーン駅の再建は、戦後の早い段階から計画が進められ、1946年5月には当局から鉄道駅再建の許可が下りた。
建設工事は1947年1月に始まり、475万Ksの費用と7年間の歳月をかけて、1954年5月に新たなラングーン駅が完成した。
旧駅舎がヴィクトリア様式であったのに対し、新しい駅舎は独立を象徴するようにAnglo-Burmese様式で、"Pyatthat"と呼ばれるビルマの伝統的な屋根を有した4本の尖塔が特徴的。
1954年6月5日に開業式が行われ、ビルマの鉄道は新たな歴史を刻むこととなった。
ホームは4面7線で、現在までミャンマーにおける鉄道旅行の玄関口となっている。
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