Merchant RoadとBo Aung Kyaw Roadの角で周囲の発展に取り残されたように建つ廃墟は、かつてThe Rangoon Timesの本社として使用され、そして独立後はMahatma Gandhi Hallと呼ばれた建物。1900年ごろの建設。
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The Rangoon Timesはラングーンにおける最初期の英字新聞で、1858年にThomas Godfreyにより創刊。なお、ビルマで最初の英字新聞は当時イギリス領ビルマの首都であったモーラミャインにて、1836年3月に創刊されたMaulmain Chronicle。
創刊当初は週2回の発行であったが、週に3回、日刊へと徐々に発行頻度を増やしていき、1942年にラングーンが日本軍に占領されイギリスが撤退するまでの間発行を続けた。
正確な年はわからないものの、おそらく1900年ごろに当地に事務所を建設。以降撤退までThe Rangoon Timesの本社として使用されてきた。また日本による占領時代は「慰安所」として使われていたという。
ビルマ独立後の1951年、当時のビルマ首相であるU Nu(ウーヌ)と初代インド大使であるM. A. Raufによって購入され、インド独立の父であるMahatma GandhiにちなみMahatma Gandhi Hallと名付けられた。またこの際管理団体としてMahatma Gandhi Memorial Trustが設立された。
以降は政治や宗教、社会的なコミュニティの場として長く地域住民に親しまれていた。
またこの場所はインド人だけでなくビルマ人にとっても重要な場所である。
1990年7月29日、アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)率いるNLD(National League for Democracy)がこの建物の前で「ガンディホール宣言(Gandhi Hall Declaration)」を採択。
この宣言は、所謂「8888運動」を経て1990年5月27日に行われた総選挙の結果を認めようとしない当時の国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council:SLORC)に対し、早期の政権移譲を求めたものである。
結果的にこの選挙結果は認められず、以降軍政はNLDを含む民主化勢力に対する弾圧を強めていくことになる。
これ以降は立ち入りを禁止され廃墟となっていたが、2013年にMahatma Gandhi Memorial Trustがこの建物を取り壊し12階建てのコンドミニアム建設計画を立ち上げた。
しかしながらThant Myint-Uが設立したYangon Heritage Trustが中心となった反対運動によりこの計画は頓挫することになる。なおこの際、YCDC(Yangon City Development Committe)やヤンゴン地方政府、インド大使館もこの計画に反対した。
うっすらと残るMahatma Gandhiの文字 |
参考文献:
Dom Pub
Routledge
Gregg Intl Pubns
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