税関を囲うように区画の約3/4を占有する建物は、かつてイギリス植民地下のビルマにおける経済の中心であった。この場所を中心に金融機関が集まり、建物北側の通りはBank Roadと呼ばれるなど現在まで多くのコロニアル建築が残るエリアとなっている。
1900年ごろの竣工で施工会社はA. C. Martin Company。
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第二次英緬戦争(the Second Anglo-Burmese War : 1852-1853)の結果、イギリスに併合された下ビルマはイギリス領インド帝国に編入された。この時は州(Province)ではなくその一つ下の準州(Minor Province)という扱いであった。
インド帝国に編入されたことで当然そこで使われる通貨もインド同様ルピーとなり、1883年にはラングーンに通貨局(Currency Department)が設置された。
こうしてビルマ領内においてルピー紙幣が発行され始め、ビルマはインドの経済圏に取り込まれていくこととなる。
なお、硬貨については独立まで発行されることはなくすべて国外から持ち込まれたものを使用していた。
その後の第三次英緬戦争(the Third Anglo-Burmese War : 1885)を経てビルマ全土がイギリス領インド帝国に併合、1897年にようやく準州から州へと格上げされ、ビルマ州(the Province of Burma)が誕生する。また同年よりビルマで発行されたルピー紙幣にビルマ語が記載されるようになる。
こうした中、1900年ごろから新たな通貨局の事務所としてこの建物の建設が始まった。
区画の西側から建設が始まり、通貨局の新たな事務所として紙幣の発行もこの建物で行われていたが、すぐに手狭になってしまったことと、新たに財務局(Accountant General's Office)の事務所が必要となったことから東側に建物の拡張工事を行うこととなる。
拡張工事は1907年ごろに完了し、3つのドームを有するコロニアル建築が完成したが、残念ながら1941年12月の日本軍によるラングーン爆撃により建物北側が破壊されてしまう。
こうして2つの建物に別れてしまったが、戦後は破壊された北側に低層の建物を作り、この建物と合わせて年金局(Department of Pensions)として使用されていたという。
現在は一般住居及び旅行会社らしきものが入居しているようだが詳細不明。また内部立入も不可。
なお、木の陰に隠れて見えづらくはなっているが、Bank Roadに面する部分は現在まで修復工事がなされておらず、ヤンゴンに残る数少ない戦跡となっている。
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
Serindia Publications, Inc
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