ヤンゴンではあまり見られないシンプルな作りの教会は、1910年代に建てられたルター派の教会で、マルティン・ルター(Martin Luther)の宗教改革における三原則であった「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵みのみ」を体現しているかのようだ。
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ビルマにおけるルター派の歴史は1877年まで遡る。
1877年3月、イギリス領インド帝国南部のマドラス(Madras、現Chennai)からビルマへ仕事を求めて移住してきた70名ほどのタミル人たちにより、最初のルター派教団が組織された。
翌1878年4月には南インドで宣教活動を行っていたLeipzig Evangelical Lutheran MissionのA. Mayrがラングーンへ移住し宣教活動を開始。
当初はダウンタウンの36番通りに部屋を借りて礼拝をおこなっていたが、1880年7月に現在のヤンゴン中央駅北側の土地を植民地当局より寄付され木造の教会を建設。また教会と併せて学校や宿舎も建てられた。
1886年3月にMayrがドイツへ帰国すると、以降は欧米人ではなくタミル人牧師たちにより宣教活動が続けられた点がその他の宗派と異なるルター派の特徴と言えるだろう(もちろん定期的にマドラスからドイツ人牧師の巡回はあったが)。
非欧米人による宣教活動は困難を伴うものであったが、タミル人牧師のD. Davidの精力的な活動により1910年ごろには460名ほどにまで信徒が増大していく。
1910年ごろ、ラングーン駅の拡張工事に伴い教会及び付帯施設は取り壊され、現在のTheinbyu Roadに新たに教会を建設。現存するのはこの時に建てらたもの(竣工年不明)。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、イギリス領であったインドおよびビルマ在住のドイツ人は追放もしくは収容所へ収監されてしまい、以降、特にビルマにおいてドイツ人はほとんど存在しなくなった。
この教会もドイツのルター派による支援がなくなり、以降はスウェーデンのルター派による支援に切り替わり活動が続けられることとなる。
日本軍による占領期は一時的にこの教会も閉鎖されていたが、戦後の46年ごろには再びタミル人牧師たちの手により運営が再開された。
1962年のクーデター以降、タミル人宣教師が追放されてからはビルマ人牧師たちの手によって礼拝が続けられ、現在までタミル語テルグ語に加えて英語ミャンマー語で礼拝が行われている。
なお、ミャンマーにおけるルター派はこの教会が属するEvangelical Lutheran Church in Myanmarの他に3つの組織(Lutheran Church of Myanmar/Myanmar Lutheran Church/The Mara Evangelical Church)があり、ミャンマー全土で約3万人程の信徒がいると言われている。
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
Fortress Press
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