かつて、ラングーンにはポルトガル領インドのゴア出身者によるコミュニティが存在した。
そのコミュニティの中でも最も商業的に成功したと言われるのが、この建物の所有者であったEdward Maciel DeSouzaである。
当時のラングーンで最大の薬局としてE. M. DeSouza & Companyを経営していた彼は、その商業的な成功に恥じない重厚な建物をスーレーパゴダからほど近い場所に建築した。
現在はMPT(Myanma Posts and Telecommunications)のオフィスとして使用されているが、その存在感は当時から変わることはない。
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E. M. DeSouza & Co.,は前述の通り、ポルトガル領インドのゴア出身であるE. M. DeSouzaによって設立された。
彼がいつ頃ラングーンに移住してきたかについては正確な記録がないが、遅くとも1888年にはラングーンにおいてE. M. De Souza & Co.,を経営していた。
スコットランドの大学で医学を修めたE. M. DeSouzaは、薬局の経営とともに自身の手による診療所の運営も行っていたという。
また、彼以外にも19世紀後半から20世紀にかけて、DeSouza一族はA. V. DeSouza & Company(建築業)やC. X. DeSouza & Company(文具業)、H. C. DeSouza & Company(輸入酒等輸入販売業)といった会社を経営しており、ラングーンのみならずビルマ全土で商業的な成功を見せていた。
E. M. DeSouza & Co.,に限っても、ラングーンのほかにMaymyo(現Pyin Oo Lwin)、Prome(現Pyay)、Bassein(現Pathein)に支店を有していたという。
1942年に日本軍がラングーンを占領すると、その他のゴア出身者とともにインドへ逃れたが、戦後に再びラングーンに戻り営業を再開し、1964年3月まで同地で営業を続けたという。
1962年のネウィンによるクーデターとそれに伴う国内事業の国有化により、E. M. DeSouza & Co.,も国有化されPeople's Shopと名前を変えることとなる。
その後については不明な点も多いが、のちに国営の通信会社であるMPTがオフィスとして使用を開始し、以降、現在までヤンゴンの中心でその威容を誇り続けている。
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