Ashay Tawya Monastery内にあるNga Htat Gyi Pagodaにはミャンマーでも有数の巨大な仏像が鎮座している。
高さ約14mを誇り、ヤンゴンで最も端正な顔立ちをした仏像としても名高い。
パゴダの名前にあるNgaはミャンマー語で数字の5を意味し、ヤンゴンにはこのパゴダを含め名前に数字が入ったパゴダが3つ存在する。Shwegondaing Roadを挟んで北側にあるChauk Htat Gyi PagodaとSanchaung TownshipにあるKoe Htat Gyi Pagodaはそれぞれ6と9を意味する。
なおHtatは「階」や「層」といった意味だが、何が5層ないしは5階なのかは諸説あるものの正確には不明。
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20世紀初頭のビルマは、全土がイギリスの植民地に組み込まれてから10年以上が経過し、比較的に安定した時期であったと言われている。そうした時代背景からか、この時期にはビルマ人によるパゴダの建立が盛んに行われた。例えば先述したChauk Htat Gyi Pagodaは1907年にSir Po Thaにより、Koe Htat Gyi Pagodaは1910年にU Kyinにより建立されたものである。
Nga Htat Gyi Pagodaも同時期のもので、1901年にビルマ人篤志家のU Po Aungとその妻のDaw Sein Yinの寄付により建立されたものである。
パゴダ内に鎮座する仏像は当時著名な彫刻家であったU Nyet(U Nyan)によって造られたもので、彼はこの仏像を造るにあたってミャンマー各地を旅しそのモデルとなる仏像を探した。そしてザガイン(Sagain)にあるこのパゴダと同名のNga Htat Gyi Pagodaに美しい仏像を見つけ、それをモデルとして巨大な仏像が建立されることとなる。
なお、ザガインにあるNga Htat Gyi Pagodaはタウングー朝(Tounguu Dynasty)のPindale Min(在位:1648-1661)により1657年に建立されたものである。
こうして1901年に仏像と安置するための仏堂が造られ、モデルの仏像があったパゴダから名前をとりNga Htat Gyi Pagodaと呼ばれることとなった。
ザガインのNga Htat Gyi Pagodaには5層の"Pyatthat"と呼ばれる屋根や、5つの祈りのための献堂があったといった点からこの名前がつけられという説があり、ラングーンに当初建てられた木造の仏堂にも同様に5層の屋根飾りがあったともいわれている。
1967年に火災により参道を含むパゴダの一部が消失したことから、現在まで残る鉄骨の仏堂が新たに建てられた。また1990年代には当時の軍政による大規模な改修工事が行われたという。
触地印と言われる印相を結んだ巨大な仏像は、ミャンマーで見られる一般的な仏像とは異なった冠や僧衣を纏っており、現在ではヤンゴンの主要な観光地の1つとなっている。
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参考文献:
River Books
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