9th Blue Plaque
1895年に開校したGovernment Engineering Schoolはミャンマー最古の技術者養成学校で、土木・電気・機械といった技術者の育成を担い、イギリス植民地下のビルマはもとより、独立後もその国家基幹を支える人材を輩出し続けた。
現存する校舎は1908年に完成したもの。
2015年12月、開校120周年の年にYangon Heritage Trustにより9番目のBlue Plaqueに指定された。
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現在GTI Insein(Government Technical Institute, Insein)として知られるこの学校は、1895年4月1日にGovernment Engineering Schoolという名前でダウンタウンのLanmadaw Station西側に開校したのが始まりと言われている。
1898年に現在Animal Husbandry and Veterinary Science Instituteがある場所へと移転し、その後1908年に現在地へと再度移転した。なお現存する校舎は1906年着工で1908年3月の完成。
1912年に現在の名称であるGovernment Technical Instituteへと改称され、卒業生のほとんどがPublic Works Departmentへと就職し植民地ビルマを支えていった。
しかしながら学生の民族構成は7割以上をインド人が占めており(1909年)、これは独立後のビルマ人技術者の不足へとつながっていく。
1942年に日本軍がビルマへと進駐するとGTIも一時的に閉鎖となる。「ビルマ国」として独立した翌年の1944年9月にState Technical Instituteと名称を変え、ラングーン総合病院(Rangoon General Hospital)内にて再開をしたが、1945年4月には連合軍のラングーン再占領に伴い閉鎖されることとなる。
戦後、Inseinに戻り再開するが、1949年に発生したカレン族との武力衝突(Battle of Insein)により再度の移転を余儀なくされ、衝突が落ち着く翌1950年までムスリム系のGujaratti Schoolに間借りして運営がなされていた。
1950年にInseinに戻り再開すると、以降1996年に軍事政権により閉鎖されるまでの間、数多くの技術者たちを育成していった。
前述の通りイギリス植民地下のビルマではその技術者のほとんどをインド人が占めており、戦後に彼らが自国へと戻っていくと技術者不足に悩まされることとなった。
こうした人材不足を解消すべく、1951年に始まったコロンボプランによる支援等により各国から講師として技術者を呼び、GTI Insein以外にも数多くの職業技術訓練校が設立されていった。そうした結果1970年代までは東南アジアでも最も優れた職業技術教育訓練機関を持つ国として、周辺国からの留学生が集まるまでになったという。
しかしながら1960年代以降の社会体制の変化や、8888民主化運動以降の大学の閉鎖や郊外移転といった流れによりその教育水準は徐々に低下していくこととなる。
1996年に軍事政権によりGTIは閉鎖され、以降、校舎は警察施設として、またその他の施設は民間企業へと貸し出された。
2011年以降ミャンマーの民主化が進んでいったこと、また全国各地の卒業生から再開要請があったこともあり、2017年12月1日、約20年ぶりに再開された。この再開に当たってはドイツ政府からの支援が行われており、建物の改修やその他設備のために約35億チャットが費やされたという。
なお、現在GTI Insein内には2014年に住友商事主導で導入された職業訓練コース、「サクラ・インセインテクニカルコース」や、UNESCO-UNEVOC Centreも入居している。
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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