全長約66m。Chauk Htat Gyi Pagodaにはミャンマーでも最大級の寝釈迦仏があり、その顔立ちの美しさはミャンマー随一ともいわれる。このパゴダは1907年にビルマ人実業家のSir Po Thaにより建立された。
パゴダの名前にあるChaukはミャンマー語で数字の6を意味し、ヤンゴンにはこのパゴダを含め名前に数字が入ったパゴダが3つ存在する。Shwegondaing Roadを挟んで南側にあるNga Htat Gyi PagodaとSanchaung TownshipにあるKoe Htat Gyi Pagodaはそれぞれ5と9を意味する。
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20世紀初頭のビルマは、全土がイギリスの植民地に組み込まれてから10年以上が経過し、比較的に安定した時期であったと言われている。そうした時代背景からか、この時期にはビルマ人によるパゴダの建立が盛んに行われた。例えば先述したNga Htat Gyi Pagodaは1901年にU Po Aungにより、Koe Htat Gyi Pagodaは1910年にU Kyinにより建立されたものである。
Chauk Htat Gyi Pagodaも同時期のもので、1907年にビルマ人実業家のSir Po Tha(U Po Tha)の寄付により建立されたものである。
Sir Po Thaは1857年にThanlyinで6人兄弟の長男として生まれた。
米の取引を通じて財を成した彼は1933年に76歳で亡くなるまでの間に、このChauk Htat Gyi Pagodaの他にもShwedagon Pagodaの北側祈祷所やInseinにあるInsein General Hospitalを設立するなど篤志家としてもその名を馳せ、1927年にはイギリス王室よりナイトの称号(Knight Bachelor)を授与されている。
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Insein General Hospital (Sir Po Tha Hospital)
1899年、Sir Po Thaは寝釈迦仏の建立を発願する。
当初は熟練の職人にその建造を依頼したが、建設の途中でその職人が職を辞してしまい、工事は別の企業により継続されることとなる。不運なことに新たに依頼した企業は非仏教徒であったことから出来上がった寝釈迦仏はSir Po Thaが望んだものとは別のものとなってしまった。
1907年に8年の歳月をかけ全長60mの寝釈迦仏が完成したが、その姿は一般的な寝釈迦仏とは異なり、半身を起こし、本来頭を支えるべき右腕も下ろした状態であった。また顔立ちも男性的とも言え一般の仏教徒から見ても好ましいものではなかったという。
こうして望まれた姿でない形で誕生した寝釈迦仏は、長年再建の話があったものの仏教徒の伝統として一度出来上がった仏塔や仏像を破壊することは到底受け入れられるものではなく、結局独立後の1950年代までそのままの姿で存在することとなる。
1948年にイギリスから独立したビルマは初代の首相にU Nuが選ばれた。U Nuは後に仏教を国教と指定するほどの敬虔な仏教徒であり、彼とこのパゴダの管理団体が長年の懸案事項であった寝釈迦仏の再建に取り組むこととなる。再建に関しては上述の通り仏教徒として受け入れ難い事情があったものの、長年雨ざらしで既に寝釈迦仏の経年劣化が進んでいたことも追い風になったのかもしれない。
こうして1959年3月23日に寝釈迦仏の再建計画が動き出す。
実際の建立にあたってはパゴダの管理団体代表であったSithu Chatthin U Ba Tinが中心となり、彼本人はもとより全国の仏教徒から寄付を募ってその建立資金を調達した。
前回の反省を生かし、Tavoy(現Dawei)からU Thaungという名の職人を呼び寄せ彼が工事の責任者として総指揮をとることとなる。なお、初代の寝釈迦仏を取り壊した際には多くの宝物や宝石が出土し、これらは全て新たに建立する寝釈迦仏に奉納されることとなった。
この寝釈迦仏の再建にあたって特筆すべき取り組みとして、ガラスの目を使用したことがあげられる。一般的に仏像の目は描かれることが多い中で、パゴダ管理団体はこれにガラスを使用することを望んだ。
ただしこれほど巨大な仏像のためのガラス玉を製造することは技術的に難しく、日本やドイツに製造を依頼したが断られたという記録も残っているという。結果的にHlain TownshipにあったNaga Glass Factoryに依頼し、長い歳月を経て完成を見ることとなった。また特徴的なまつ毛は工事の総責任者であるU Thaung自らが制作した。
こうして1974年に元々の寝釈迦仏より6mほど大きい約66m(65.83m)の寝釈迦仏と鉄骨の仏堂が完成し、5月5日、Kasonの満月の日に落慶式が300名(一説には1,100名)の僧侶の下執り行われた。
なお、再建に際し元々南西を向いていた寝釈迦仏が現在の北東向きに変更となっている。
こうして完成した寝釈迦仏は、その美しい顔立ちや拘りのガラス製の目、長いまつ毛といった外観に加え、足の裏には108の仏教文様を表した仏教宇宙観図等、現在ではヤンゴンでも最も有名な観光地の1つとなっている。
Sir Po Tha |
参考文献:
River Books
・My Magical Myanmar
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