"Cholia"
1936年、ラングーン裁判所はこの民族グループを「タミル語を母語とするムスリム」と定義した。
Cholia Jamah Mosqueと呼ばれるこのモスクは、このCholiaと呼ばれる人々によって建てられたもので、その創建は1856年まで遡るという。
Choliaの語源は9世紀から13世紀にかけて南インドを支配したチョーラ王朝(Chola Dynasty)と言われており、ビルマにおける定義は少々広すぎるきらいがあり、狭義のCholia(Chulia)は現在のタミルナードゥ州(Tamil Nadu)の中でも南部のコロマンデル海岸(Coromandel Coast)地方出身のムスリムを指すことが多いという。
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1856年、Gulam HoosainとShaik Madarという二人のムスリムが植民地政府よりこの区画を購入し木造のモスクを建立したのが始まりと言われている。
Choliaはイギリスがビルマを併合する以前より、ビルマを含む各地に交易で訪れており、どの段階でビルマでコミュニティが形成されたかは定かではないが、それでもイギリスによるビルマ併合以降に大幅にそのコミュニティを拡大させていったことは間違いない。
なおマレーシアのジョージタウン(George Town)にも同じ語源のChulia Streetと呼ばれる道が存在する。
1869年にはモスクの管理及びモスク敷地内にある商店からの収入を管理すべくCholia Mosque Trustが設立された。その後1872年には石造りのモスクが作られ、1936年に現在のモスクが新たに建てられた。
このモスクはアルメニア系のA.C. Martin & Co.,(参考:Central Post Office / Currency Department Office)による施工で7か月という短期間で作られたという。
第二次世界大戦では連合軍による爆撃で大きな被害を受けたが、戦後修復を行うとともに1955年にはMaha Bandula Roadに面する場所にアーケードを、1963年には大ホールが建設された。またモスク併設のマドラサも有していたが(1926年設立)、ネウィンによるクーデター後の1965年に閉鎖された。
ビルマのCholia達は日本軍によるビルマ侵攻やビルマ及びインドの独立を経て多くはビルマを去って行った。残った人々も1962年のクーデター以降の、そのほとんどがビルマを離れて行く。
こうして現在では少数派となっており、若い世代ではタミル語を話せない人々も増えており、本来の「タミル語を母語とする」Choliaはほとんど存在しないのかもしれない。
しかしながら近年ではコミュニティ内でタミル語教育の場を設けるなど、その文化は現在まで脈々と受け継がれている。
参考文献:
Dom Pub
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