かつてMadrasah Mohammadia Randeria High Schoolと呼ばれたこの学校は、ラングーンでも最も古い学校の一つとも言われその設立は1867年まで遡る。
"Randeria"の名前が示す通りグジャラート州スラート(Surat)近郊のRander出身の移民により建てられたこの学校は、彼らのラングーンでの成功を反映するかのように美しい装飾を施された4階建ての校舎となっている。
スポンサードリンク
スラートからの移民は19世紀の中ごろにはビルマにて交易に従事していたと言われている。実際に1854年にはこの学校の向かいに木造のモスクが建てられており、Surati Sunni Jamah Mosqueと名付けられた(現在のモスクは1872年に建てられたもの)。
またRander Houseと呼ばれる1932年に建てられた商業ビルや、その向かいのRanderia Houseと呼ばれた建物にRanderの名残を色濃く残す。
その他ヤンゴン市内各地に現在まで多数Suratの名前を見つけ出すことができる。
このようにラングーンにおいて商業的な成功を収めたSurat出身者たちのコミュニティにより1867年にマドラサ(神学校)として建てられたのがこの学校の始まりである。
当時はムスリムだけを対象に伝統的なイスラム教育機関として運営されていたが、時代とともに1900年には教育言語に英語を導入、また1909年には植民地政府の教育カリキュラムに則った中等教育機関と変遷を遂げていく。
そうした中でムスリムだけを対象としていた入学者の制限も撤廃され、仏教徒やヒンドゥー教徒、クリスチャンの生徒も存在していたという。
1962年、ネウィン(Ne Win)によりクーデターとそれに伴う社会体制の変化から1965年5月にその他の学校と同様国有化され、Basic Education High School No.2 Pabedan(BEHS No.2 Pabedan)となるが、現在までその生徒の多くをムスリムが占める点は当時から変わっていない。
なお著名な卒業生としてラングーン大学学生連盟(Rangoon University Students' Union : RUSU)で半植民地運動の中心となり、戦後は各大臣を歴任したM. A. Raschidがいる。
参考文献:
Dom Pub
World Scientific Pub Co Inc
スポンサードリンク
0 件のコメント:
コメントを投稿