参考:
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その1)
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その2)
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その3)
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その4)
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その5)
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その6)
朝食は軽めに、前日にホテルに頼んでおいた車で本日は郊外を回ります。
Kyaikkhami・Thanbyuzayat・Win Sein Taw Yaを回る1日チャーターで65,000Ks。
ほぼ英語の喋れない運転手でしたがメジャーなところばかりなので特段問題なし。車も冷房付きです。
9時にホテルを出発してまずはチャイッカミへ。
体調不良もあってか道中は基本的に寝ておりました。2時間弱でチャイッカミに到着。
ここはYele Pagodaと呼ばれる水上パゴダが有名。
なんでも2200年前にスリランカから11本の仏陀の聖髪と、4体の仏像が流れ着いたらしい。4体の仏像はダウェイ・チャイトー・パテイン、そしてこのチャイッカミに流れ着いたらしく、その仏像は現在もこのパゴダに安置されているとか。。。ただし安置されている本殿は女人禁制。
そんな歴史あるパゴダ。正式名称は不明。
海岸沿いだけあって船のパゴダがあったり先端までいけたりとそれなりに楽しめる。
ただ海は汚いなー…
その後来た道を戻り、タンビュザヤへ。ゴムの木が目につく。
タンビュザヤは泰緬鉄道のビルマ側起点となっており、泰緬鉄道博物館や、泰緬鉄道建設に従事した連合国軍兵士の共同墓地、旧日本軍の慰霊碑等の戦跡巡りがメイン。
最初にいったのは連合国軍共同墓地。
Thanbyuzayat War Cemetery
ミャンマーでは珍しく非常によく管理されている。
1946年12月10日に落成、式典にはアウンサン将軍(Bogyoke Aung San)も参列した。
定休日無しで7時から17時。
埋葬者の内訳は
イギリス:1,651名
オーストラリア:1,335名
オランダ:621名
インド(英領インド):15名
ニュージーランド:3名
カナダ:1名
不明:72名
計:3,626名
Thanbyuzayat Railway Station
泰緬鉄道とは関係ないです。ビルマ側起点はここよりもうちょっと南。
せっかくなんで立ち寄っただけで特に戦跡というわけではないはず。
そして駅から少し南へ下ったところに有るJapan Pagodaへ。
Japan Pagoda
先ほどのWar Cemeteryは連合国軍側だけです。
戦中、ここに泰緬鉄道建設で亡くなった日本兵のための慰霊碑とパゴダを建てたのが始まりだとか。線路を越えてすぐ左側。ちょっとわかりづらいかもしれない。
敷地の中に入って奥に進むと向かって右側に慰霊碑が。
記載内容は下記の通り。
「泰緬連接鐵道緬側建設殉難者之碑」
「泰緬連接鉄道完成之秋ニ方リ碑ヲ「タンビザヤ」ニ建テ
緬側人柱之霊ヲ慰ム
昭和十九年二月吉日
緬側建設部隊長
陸軍大佐従五位勲三等
佐々木萬之助」
慰霊碑の左側にあるのが当時慰霊碑とともに旧日本軍が建てたといわれるパゴダです。
先ほどのWar Cemeteryと比べると管理はほとんどされていない状況。
続く。
2015 Hpa-An/Mawlamyaing旅行記(その7)
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