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Address : 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 京都霊山護國神社 昭和の杜
京都霊山護国神社には「昭和の杜」と名付けられたエリアが存在する。
そこに建つ「大東亜戦争従軍記念之碑」は同戦争に従軍した稲田栄三と今西栄三の2名により、1997年(平成9年)1月に建立されたものだ。
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「昭和の杜」は大東亜戦争に従軍し生還した戦友たちにより、昭和史に残した足跡と従軍した事実を永く後世に伝え、また祖国の繁栄と世界恒久平和の願いを込めて1996年(平成8年)11月に造営されたものである。
そしてこの従軍記念之碑は1997年(平成9年)1月に元ビルマ派遣軍野砲兵第53連隊の稲田栄三と元ビルマ派遣軍工兵第53連隊の今西栄三により建立されたもの。それぞれがビルマ戦線に従軍し、九死に一生を得て帰国した2名である。
参考:
稲田は享和3年(1803年)創業の京菓子の老舗である「鶴屋𠮷任役員やこの碑の建つ昭和の杜建設副委員長なども歴任。生前は何度もビルマへと足を運び、遺骨収集や慰霊巡拝活動、また小学校の建設等その生涯でビルマと深い繋がりを持った。
今西は2002年(平成14年)12月18日に逝去したが、その前年の2001年(平成13年)11月17日から12月6日までの政府派遣ミャンマー遺骨収集団にも参加するなど、死の間際までビルマとの関わりを持ち続けた生涯であった。
なお、稲田は1992年(平成4年)に逝去しており、残念ながら昭和の杜もこの碑の完成も見ることは叶わなかった。
2022/01撮影
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