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Address : 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 京都霊山護國神社境内
京都市にある護国神社の境内には4つのビルマ戦線関連碑が存在する。
「星光萬年」と記されたこの碑は、1970年(昭和45年)に第53師団野砲兵第53連隊(通称号:安10027部隊)の戦友会である京砲会により建てられたもの。
同隊は1943年(昭和18年)11月京都にて編成完結。同年12月から順次出征し、上海、サイゴン(現ホーチミン)、バンコクを経て翌1944年(昭和19年)4月にペグ―(現バゴー)に到着、北部ビルマへと進軍した(別途シンガポール経由の部隊も有り)。
なお同隊第3大隊はビルマへの途上、敵潜水艦の攻撃を受けフィリピンのルソン島に緊急上陸し、以後ビルマではなくフィリピンでの戦いに参加した。
4月以降モール(Maw Luu/မော်လူး)、ミイトキーナ(ミッチーナ/မြစ်ကြီးနား)、モガウン(Moe Gaung/မိုးကောင်း)、ホピン(Hopin/ဟိုပင်)、モーハン(Mawhun/မော်ဟန်)などの戦闘やイラワジ会戦に参加した後、シッタン作戦に参加中終戦を迎える。
1947年(昭和22年)7月復員。編成時1,538名中1,141名が戦死したという。
本碑は1970年(昭和45年)11月22日に同隊の戦友会である京砲隊により建立された。また同戦友会は2007年7月にヤンゴンの日本人墓地にも慰霊碑を建立している、
余談だがミャンマー研究者として著名な田辺寿夫の父はこの部隊に所属し、生還している。
2021/01撮影
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