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Address : 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 京都霊山護國神社境内
京都市にある護国神社の境内には4つのビルマ戦線関連碑が存在する。
小さなチンテが一体佇み、少し哀愁を漂わせてるような印象を受けるこの碑は1972年(昭和47年)に第53師団工兵第53連隊(通称号:安10030部隊)の戦友会である緬友会により建てられたもの。
同隊は1943年(昭和18年)12月京都にて編成完結。
12月25日に先遣隊として同隊の第三中隊が京都を発ち、29日に門司港から出帆した。上海を経由し翌1944年(昭和19年)3月10日にサイゴン(現ホーチミン)に上陸。4月18日にタイ・ビルマ国境を通過し5月にはモール(Maw Luu/မော်လူး)へと到着した。
一方残った主力隊は1944年(昭和19年)1月15日に京都を発ち、大阪、門司を経て1月29日昭南(シンガポール)上陸。当地で教育訓練を受けたのち陸路でビルマへと進み5月にモールメン(現モーラミャイン)へと到着した。
両隊は6月にモガウン(Moe Gaung/မိုးကောင်း)で合流し、以降ミイトキーナ(ミッチーナ/မြစ်ကြီးနား)、ホピン(Hopin/ဟိုပင်)、モーハン(Mawhun/မော်ဟန်)などの戦闘やイラワジ会戦、マンダレー防衛戦に参加した後、シッタン作戦に参加中終戦を迎える。なお終戦後も同隊は友軍の渡河支援を行い、武装解除は9月となる。
その後はパヤジー(Payagyi/ဘုရားကြီး)の収容所(10月2日~)、ラングーンのアーロン(Ahlone)収容所(1946年4月~)、コカイン(Kokine)収容所(7月~)、ミンガラドン(Mingaladon)収容所(8月~)にて虜囚生活を送り、1947年(昭和22年)7月24日に復員した。戦死者は620余名を数えたという。
本碑は1972年(昭和47年)8月20日に復員25周年を記念して同隊戦友会の工兵五十三会により建立された。同戦友会は1951年(昭和26年)に結成され、この碑の建立当時は緬友会と称していた。
2021/01撮影
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