Address : 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 京都霊山護國神社境内
京都市にある護国神社の境内には4つのビルマ戦線関連碑が存在する。
1974年(昭和49年)に建てられたこの慰霊碑は、騎兵のレリーフが示す通り、京都で編成された騎兵隊及び捜索隊のためのものである。
参考:
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この慰霊碑は騎兵第20連隊、騎兵第120大隊、捜索第16連隊及び捜索第53連隊の戦没者慰霊碑である。この中でも捜索第53連隊は、太平洋戦争においてビルマ戦線へとその身を投じた部隊だ。
同隊は1941年(昭和16年)10月に京都の騎兵第20聯隊において編成。
1944年(昭和19年)3月に宇品を出発し、昭南(シンガポール)、サイゴン(ホーチミン)を経由し6月22日にビルマ・中国国境の町、芒市へと到着する。
その後拉孟・騰越の戦い、ミイトキーナの戦いに参加、ビルマ北部の各地を転戦しながら1945年(昭和20年)に入ってからは南下してイラワジ河畔並びにメイクテーラ会戦などに参加した。同年5月にはシッタン河を渡河し、クンゼイ(Kun Seik)に到着。シッタン河付近にて終戦を迎える。
同碑はこの捜索第53聯隊だけでなく、騎兵第20聯隊出身各部隊並びに師団衛兵騎兵戦没者900余柱の慰霊のため、1974年(昭和49年)11月に慰霊碑建設有志一同により建てられたもの。
2022/1訪問
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