歩兵第百二十八聯隊顕彰之碑

Address : 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 京都霊山護國神社境内


京都市にある護国神社の境内には4つのビルマ戦線関連碑が存在する。
そのうちの1つで、碑の横に置かれた重機関銃と鉄兜が印象的なこの碑は1969年(昭和44年)に第53師団歩兵第128連隊(通称号:安10021部隊)の戦友会、一二八ビルマ會により建てられたもの。



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同隊は1941年(昭和16年)11月に京都で編成、第53師団隷下となる。
1943年(昭和18年)12月下旬(12/29)に門司港を発ち、上海を経由し2月から3月にかけサイゴン(現ホーチミン)に上陸。周辺地区の警備とともに教育訓練を受け、1944年(昭和19年)3月中旬から下旬にかけ、プノンペン、バンコクを経てビルマへと向かった。
4月中旬マンダレーに集結。以降ミイトキーナ(ミッチーナ/မြစ်ကြီးနား)、モガウン(Moe Gaung/မိုးကောင်း)、ホピン(Hopin/ဟိုပင်)、モーハン(Mawhun/မော်ဟန်)などの戦闘やイラワジ会戦に参加した後、シッタン作戦に参加中クンセイ(Kun Seik/ကွမ်းဆိပ်)にて終戦を迎える。
2年間の収容所生活を経て1947年(昭和22年)7月、復員。碑文によれば4,641名中2,720名が戦死したという。


本顕彰碑は1969年(昭和44年)3月9日に同隊の生き残りによって建立されたもの。
1980年(昭和55年)4月には碑の手前に新たに「ビルマに散華した戦友よ安らかに」の碑も作られた。また碑の隣には1975年(昭和50年)2月にビルマから持ち帰られた重機関銃と鉄兜が、2007年(平成19年)に行われた慰霊巡拝の際にビルマ国内13か所から持ち帰られた各地の石がそれぞれ安置されている。

一二八ビルマ會(128ビルマ会)は当初「一二八パゴダ會」と称し、1953年(昭和28年)ごろより京都霊山護国神社にて慰霊祭を行い始めたという。同会は2001年(平成13年)から遺族により管理運営がなされている。






2021/01撮影



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