Address : 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
新撰組ゆかりの寺としても知られる京都の古刹、律宗大本山壬生寺。
その境内には「千体仏塔」と呼ばれる、パゴダを模して建てられた仏塔が存在する。
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この千体仏塔は1989年(平成元年)に当寺の創建一千年記念事業の一環として、かつて境内北側にあった仏塔を移設・改築したものである。
塔の形はミャンマーに数多くみられるパゴダを模し、その名前の通り1,000体の石仏が安置されている。これらの石仏は明治時代に京都市の区画整理の際、各地から集められたものだという。
ではなぜこの仏塔はミャンマーのパゴダを模しているのだろうか。
その理由は当時の貫主、松浦俊海師(現長老)の経歴によるところが大きいのだろう。
松浦師は1934年(昭和9年)12月に京都で生まれ、1957年(昭和32年)に龍谷大学文学部仏教学科を卒業した。その後1969年(昭和44年)から2021年(令和3年)まで壬生寺の貫主を、また2005年(平成17年)から2010年(平成22年)の間には律宗総本山である奈良・唐招提寺の第85世長老を務めた。
師は1956年(昭和32年)5月から1957年(昭和33年)8月までの間、留学僧としてビルマ(現ミャンマー)に滞在していた。このビルマへの留学僧派遣は日本釈尊正法会によるもので、60名近い応募者の中から松浦師を含む17名がビルマへと渡った。その中には既に当ブログで取り上げた土浦の佛照寺(ビルマ釈迦堂)の鴨崎仁彦師や滋賀・霊山院の小寺文頴師、ビルマ仏教に関する著作で有名な池田正隆などもいた。
この留学に応募した理由として松浦師は
「テーラワーダ仏教は根本仏教を継承するもので、それを実体験したいという思いがあった。(*)」と語っている。神戸から船に乗り、18日間をかけてラングーンへと移動、ガバエパゴダ(Kaba Aye Pagoda)近郊のダンマドゥーダ大学で学びジャンブディパ(Jambudipa)寮で1年3か月を過ごした。
京都以外で1年以上を過ごしたのはこのビルマの地だけであり、師にとってビルマは第2の故郷であったという。またこうしたビルマとの繋がりから、門司にある世界平和パゴダのウ・ケミンダ(U Kemminda)とも親交があり、彼のお別れ会の際には記念講演も行っている。
ミャンマーのパゴダを模して建てられたこの千体仏塔は、師にとっての故郷である京都とビルマを繋ぐものなのかもしれない。
なお、壬生寺の表門前の通りの名前は「坊城通り」である。そう、"BojoDori"なのだ。
ビルマ独立の父、ボージョーアウンサン(Bogyoke Aung San)の名前を冠した通りがヤンゴンにあるのは周知のこと、まさかボージョーランにこんなところでお目にかかるとは。
もはやこれは偶然ではないだろう。
ボージョーランがあるからここにパゴダが立ったのだ。ここはヤンゴン。京都市ヤンゴンボージョーラン。
ボージョーラン |
2022/01撮影
*大澤広嗣編 仏教をめぐる日本と東南アジア地域(2016年)59頁
参考文献:
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