福建系華僑たちにより1903年に設立されたこの学校は、ラングーンで最初の華僑系学校で現存する校舎は1926年に建てられたもの。
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ビルマがイギリスの植民地となる以前から、多くの中国人がラングーンに移り住んではいたが、学校と呼ばれるものは存在せず、華僑子弟の教育は専ら慶福宮や観音古廟などの寺院で行われるか、もしくは裕福な華僑たちは自身の地元から家庭教師を呼びよせ自宅での教育を行っていた。
そうした中で1903年3月に福建系華僑の有志たちにより設立されたのがこのTeong Hwa School(Tiong Hua School:中華義學)である。なお、この有志たちの中には植民地下のビルマで最も成功した華僑の1人であるLim Chin Tsong(林振宗)も含まれている。
現存する校舎は1926年に建てられたものだが、この建物について語るにはYeo Cheow Kaw(楊昭固:1878-1926)と呼ばれる華僑の話が不可欠となるだろう。
Yeoは1878年(光緒4年)に厦門近郊のAyeo(霞陽)という村で生まれた。14歳の時に父(Yeo Poon Myah)の仕事を手伝い始めるとペナンやシンガポール、そしてラングーンなどを訪れていたという。
1898年にシンガポールでYeo Chip Moh & Companyを設立し、その後ラングーンへと移住。父の死後、その経営するSin Chip Moh & Companyを引き継ぐとラングーン華僑の中で頭角を現していく。
1907年には緬甸中華總商會(Myanmar Chinese Chamber of Commerce)の前身であるChinese Guild of Commerceの設立発起人の1人となったり、Chinese Educational Associationの設立、代表となるなど、当時のラングーン華僑社会の中で大きな存在感を放っていた。
また1904年には自身の出身地であるAyeoに学校を設立したり、1907年にこのTeong Hwa Schoolの理事に就任するなど、教育面においての支援も積極的に行っていた。
理事として教育振興に取り組む一方で、私財を投じて新たな校舎を建設する。現在まで残るこの4階建ての建物は前述の通り1926年に完成したもので、以降、ラングーン最古の華僑系学校として多くの子弟を受け入れていった。
1962年、ネウィン(Ne Win)によりクーデターとそれに伴う社会体制の変化から1965年5月にその他の学校と同様国有化され、Basic Education Primary School No.6 Lanmadaw(BEPS No.6 Lanmadaw)と改称され、現在に至る。
なお、Yeoは福建系華僑としてはもちろんのこと楊氏族の中心的な人物としても1925年にストランド通りにSit Teik Tong(植徳堂)建立に尽力するなど、彼の功績は現在までヤンゴンの各所に残されている。
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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