ダウンタウンの中心部に位置する、2本の塔屋が印象的な建物は1905年に建てられたもので、100年以上に亘りこの町の歴史を見つめ続けてきた。
設計はThomas Swalesで、同人による建築はこの他Sofaer's Building及びSt. Paul's High School(拡張部)がある。
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1905年、インド人商人により建てられたこの建物は向かいの公園(現Maha Bandula Park)から名前とりFytche Square Buildingと呼ばれた。
1918年にビルマ人実業家のU Ba Nyuntに貸し出されると、彼はこの建物で百貨店を開業した。この百貨店はBurmese Favourite Company(မြန်မာ အဆွေ ကုမ္ပဏီ)と呼ばれ、ビルマで初のビルマ人により経営された百貨店であった。
Ba Nyuntはこの建物の上層階に家族とともに住み、下層階で百貨店を営業していたが、至近に「東洋のハロッズ」の異名を取るRowe & Companyがあるなど、経営環境は厳しいものがあった。特にイギリス人により経営されたRowe & Co.,は輸入関税の免除と言った税制上の恩恵を受けており、Burmese Favourite Co.,よりも安い価格で提供することができたという。
百貨店として経営する一方で、1920年にはBa Nyuntの息子であるTin NweがDagon Magazineを同建物内に設立する。これはビルマで最古の雑誌の1つで、彼らが百貨店用のカタログデザインや印刷を自社で行っていたことから印刷業のノウハウを有していたこと、Ba Nyunt自身が芸術振興への興味を有していたことも関係していると言われている。
こうして設立されたDagon Magazineは初期ビルマの文芸に大きな影響を与え、多くの作家たちのキャリアの出発点となった。Dagon Taya(1919-2013)やDagon Khin Khin Lay(1904-1981)といった著名な作家たちがこの雑誌を出発点としており、そのペンネームに"Dagon"の名をつけるケースが多かった。
更に3年後の1923年にBa Nyuntはビルマで最初の映画制作会社としてA1 Film Companyを設立。文芸のみならずビルマ映画界においても重要な役割を果たす建物であったという。なお、当時会社が保有していた戦前の映像の多くは残念ながら1950年代の火事で焼失してしまっている。
第二次世界大戦で建物は大きな被害を受けたが幸い全壊することはなかった。しかし戦後はその立地や利便性から政府がCivil Supply Boardという配給管理の事務所として使用することとなる。またDagon Magazineは1949年には発刊を休止し、以後、復活することはなかった。
1962年にネウィン(Ne Win)によるクーデターで政治体制が一変すると、この建物は政府に接収されThe Trade Corporation No.3及びNo.20が入居する。また公務員用の商品販売所としても使用された。
このTrade Corporation No.20は観光関連の部署であり、1970年代後半からはこの組織が単独で使用しTourism Burma Officeとして使用されることとなる。当時のビルマは閉鎖された国家ではあったものの、少数ながら外国人観光客が来緬しており、彼らのホテルや航空券のアレンジを行っていた。
1988年の所謂8888民主化運動を経て社会主義体制が終わりを迎えると、今後の外国人観光客の大幅な増加を見越し、1992年にMinistry of Hotels & Tourismが新設され、建物ごと業務を引き継いだ。
以降、2005年に政府機関が新首都のネーピードー(Nay Pyi Taw)へ移転するまでの間、外国人観光客にとっての窓口で有り続けたが、移転後はダウンタウンの中心地にありながら長年放置され廃墟となっていた。また2008年にはサイクロンナルギスにより大きな被害を受けた。
2017年から2019年にかけてスコットランドのNGOであるTurquoise Mountain(外部リンク)の主導により大規模な改修工事を行い、100年以上の歴史を有するこの建物は新たな歴史を刻み始めた。
参考文献:
Serindia Publications, Inc
Dom Pub
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