Immanuel Baptist Church

Address : 411 Maha Bandula Road, Kyauktada Township, Yangon



スーレーパゴダ、スンニ派モスク、そしてこのバプティスト派教会と、この場所だけでヤンゴンという都市の宗教的多様性を垣間見ることができる。
その多様性の一角を占めるのが、1885年に創建されたこのバプティスト派教会だ。
残念ながら第二次世界大戦の際に破壊されてしまい、現存するのは戦後の1952年に再建されたものだが、創建当初から現在に至るまでミャンマーにおけるクリスチャンの最大教派であるバプティスト派の中心となっている。


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ビルマにおけるプロテスタント宣教の歴史は1807年まで遡る。
1807年12月19日、イギリスのBaptist Missionary Societyから派遣されたJames ChaterとRichard Mardonがラングーンに到着し、当地での宣教を開始。
後、Felix Carey(インドにおける宣教で有名なWilliam Careyの息子)が加わりその後も数名の宣教師がビルマの地へ赴いたが、彼らにとってビルマでの暮らしは厳しいものであり、Felix Careyは1808年に妻と妻の母を亡くし、またJames Haterは健康上の理由で早々にビルマを去ることになる。
その他の宣教師たちも、到着からすぐに赤痢で死亡したりやはりビルマを去ることになったりするなど、結局1814年にはビルマでの宣教を断念することとなった。

このようにビルマにおけるプロテスタント宣教は途絶えてしまうかに思われたが、1813年7月13日にアメリカのバプティスト派宣教師であるAdoniram Judsonとその妻のAnn Judsonがラングーンに到着し、引き継ぐ形で宣教を開始する。
彼は本国アメリカに対して、ビルマでの宣教の支援を要請し、1814年にアメリカにAmerican Baptist Missionary Union(以下AMBU)が設立される。
本国からの支援の下、ビルマでの宣教活動に従事するが、それでも彼にとってビルマにおける宣教は容易いものではなかった。

宣教を開始してから6年、1819年6月27日についに彼は最初のビルマ人改宗者を得る。
その後もゆっくりしたペースながら着実に改宗者を増やしていったが、1824年に勃発した第一次英緬戦争(the First Anglo-Burmese War : 1824-1826)の際には、英語を話す外国人というくくりからイギリス側のスパイと見做され彼を含む外国人宣教師たちは21か月にもわたる過酷な投獄生活を余儀なくされた。
しかし、結果的にこの戦争によりイギリスはビルマからテナセリム地方(Tenasserim)とアラカン地方(Arakan)を割譲され、宣教師たちにとっても活動の場を広げることとなった。なお、戦後に結ばれたヤンダボ条約(Treaty of Yandabo)締結の際に、Judsonは通訳として参加している。
戦後、Judsonは活動の場をMoulmein(現Mawlamyaing)に移し、カレン族を中心とした山岳民族への宣教活動を開始する。
宣教活動とともに教育活動やインフラの整備なども行い、現地人による教会運営を目指し神学校を設立するなど、カレン族への宣教は順調に拡大していった。
またJudsonは1823年に新約聖書を、そして1834年に旧約聖書の翻訳を行い、翌1835年に初のビルマ語聖書を出版した。Judsonにより翻訳されたこの聖書は現在でもJudson版としてこの国において最もスタンダードな聖書となっている。
(参考:Bible Society of Myanmar

こうしてJudsonは1850年に亡くなるまでの間に8,000人近い改宗者を得たといわれている。
彼の死後も宣教活動は様々な宣教師たちによって行われ、山岳民族を中心に現在まで多くのキリスト教信者を得ることとなった。


さて、上述の通り1814年にはビルマでの宣教活動を断念してしまったイギリスのバプティスト派であったが、1859年に再びビルマでの宣教を開始する。
当初は現在Myanma Foreign Trade Bankがある土地にあった教会にて礼拝をおこなっていたが、1884年に新たな教会の建設を開始する。
そして翌1885年に完成したのが、このImmanuel Baptist Churchであるのだが、当時のイギリスバプティスト派は非公式ながらAMBUからの経済的な支援を受けていたという。
しかし1894年の「ある出来事」をきっかけに両者のつながりは途絶え、そしてこの教会もイギリスバプティスト派の手を離れ、AMBUの手に渡ることとなった。
この「ある出来事」に関しては詳細不明だが、いずれにせよこれ以降この教会はAMBUにより管理されることとなり、1965年まではAMBUから牧師が派遣されていた。

第二次世界大戦で破壊され、創建当時と姿は変わってしまったが、キリスト教を受容した当時の人々の信仰は現在まで脈々と受け継がれている。

2018/10撮影








2018/01撮影



参考文献:
Twentieth Century Impressions of Burma: Its History, People, Commerce, Industries, and Resources

Arnold Wright
White Lotus Co Ltd



History of Rangoon
History of Rangoon
posted with amazlet at 18.10.18
B. R. Pearn
Gregg Intl Pubns


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