白山仏舎利塔(仏舎利ハンター日誌 Vol.12)

2025/04/13

石川 仏舎利ハンター

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獅子吼。自信に満ち、一切を恐れさせ承伏させるところから、釈迦の説法を指す仏教用語だ。その「獅子吼」の名を冠した高原に、小さな仏舎利塔が建つ。

白山仏舎利塔。1960年(昭和35年)に、のちの大仏舎利塔建立の第一歩として建立された小さな石積みの仏舎利塔は、その誓願が果たされることはなく、肝心の仏舎利自体も奉祀されないまま、現在に至っている。


1960年10月10日、獅子吼高原山頂にて白山仏舎利塔の定礎式が行われた。
導師は東本願寺24代法主の大谷光暢師。来賓としてラルジ・メヘロートラー(Lalji Mehrotra)駐日インド大使、スサンタ・デ・フォンセカ(Susantha de Fonseka)駐日セイロン(現スリランカ)大使、ジャヴァード・サドル(Javad Sadr)駐日イラン大使が臨席し、一般参列者は1,000人を超えるという盛況ぶりであった。式典に先立つ9日には、現在まで残る高さ約5m、直径約5mの小奉安塔が工費約60万円で完成した。
式典では日本山妙法寺山主の藤井日達上人が仏舎利を奉持し、林家亀次郎奉賛会長並びに谷本與三次郎奉賛会発起人代表へと手渡されたのち、小奉安塔へと安置された。
また大谷光暢師、藤井日達上人、メヘロートラー大使、フォンセカ大使がそれぞれ碑文を寄せ、仏舎利塔には現在もその碑石が残されている。
なお、およそ仏教と縁の薄いイラン大使が来賓として臨席した理由は不明である。

定礎式の様子(鶴来町史 現代編より)

この仏舎利塔について語るには、鶴来町が町を挙げて進めた獅子吼高原の観光地化計画について触れなければならないだろう。
1954年(昭和29年)、周辺町村と合併し新たに鶴来町が誕生。新鶴来町の初代町長を務めた谷本與三次郎主導のもと、獅子吼高原の観光開発が本格化した。
1955年(昭和30年)2月に開催した中部日本スキー大会の会場となった獅子吼高原は、来賓の高松宮殿下をして「今まで、こんな素晴らしいスキー場がこんなところにあるとは知らなかった」と言わしめ、あわせてその景観と眺望を絶賛されたという。また鶴来町には全国白山神社の総本社である白山比咩神社があるなど、観光資源には事欠かないものであった。
なお、獅子吼高原は後高山(しりたかやま)と呼ばれる山の一部だが、観光開発にあわせて「獅子吼高原」と命名された。これは、白山開山の祖と言われる泰澄大師が白山に登った際、鶴来から見える山々の尾根で四度宿泊したという「四宿(ししゅく)」の伝説を基に、仏教用語である「獅子吼」の語があてられたといわれている。

1959年(昭和34年)3月14日の町議会で、獅子吼高原の目玉として観光ロープウェー事業の経営を町として起業することが正式に決定された。
ロープウェー架設免許の取得にあたっては、後高山の急峻な地形など困難も伴ったが、当時の運輸大臣が石川県出身の南好雄であったこと、また運輸省観光局に羽咋郡出身の技官が在任中だったことなども幸いし、同年4月20日付で索道事業経営免許の取得(2月16日申請)が完了した。
その後は5月15日に鶴来観光開発株式会社の創立発起人会が開催、6月目論見書の作成、株式の公募、そして8月5日、鶴来劇場にて鶴来観光開発株式会社の創立総会が開催された。
なお、6月の株式募集要領には将来計画として「仏舎利を山頂光明岩に安置し、北陸唯一の光明台礼拝場を創設する」とあり、初期段階からこの地に仏舎利塔が建立される計画があったことがわかる。

この鶴来観光開発は、発起人として町長の谷本に加えて、国務大臣を務めた金沢市出身の林家亀次郎、第32代石川県議会議長で石川交通などの社長を務めた島畠徳次郎、デサント創業者の石本他家男、鶴来町で製材業を営んでいた角永豊治などが名を連ねた。
また協賛者には伊藤忠商事株式会社、荏原製作所社長の畠山一清(石川県人会連合会会長)、尼崎市長の薄井一哉(石川県旧石川郡出身)、布施市長の鈴木義仲(鶴来町出身)、福光屋12代目当主の福光博、石川県知事の田谷充実、北陸鉄道株式会社、北陸電力株式会社などが名を連ねた。
なお、発起人の一人で、専務取締役に就任した角永豊治が日本山妙法寺の藤井日達上人に頼み込んで手に入れたのが、安置される予定となる仏舎利であった。

計画は急ピッチで進み、ロープウェーの建設に関しては伊藤忠商事名古屋支店との間で7,500万円の工事請負契約が結ばれ、同年12月21日、計画の開始から1年が経過しないうちに開通することとなった。

こうして観光開発の目玉となるロープウェーが開業し、翌1960年10月10日、前述の通り鶴来町に仏舎利が奉持され、獅子吼高原山頂光明台建設予定地において盛大な定礎式が執り行われた。3か国の大使に加えて、真宗王国である石川県らしく、東本願寺法主の大谷光暢師が導師を務めた。当初の計画では1964年(昭和39年)開催予定の東京オリンピックまでに、高さ37m、基壇直径36mという大宝塔が総工費1億円で建立される予定であった。
この定礎式の様子については現在でも地元商店街を中心に覚えている人も多く、裸足で歩いていたインド大使へ地元靴店が靴を献上したなどという逸話も伝わっている。

こうして鶴来町に仏舎利塔の建立計画が始まった。

定礎式から1年後の1961年(昭和36年)8月1日には世界宗教平和会議親善視察団14か国38名がこの仏舎利塔を巡拝に鶴来町へと到着。関係者約400名が参列し巡拝式が行われた。
この式典には日本山妙法寺の藤井日達上人の他、田谷県知事(代理:松尾仏舎利奉賛会副会長)、谷本鶴来町長も参列した。なお、巡拝式の後、視察団は高原山頂にある花壇にて田谷知事、谷本町長招待の野外パーティーに出席し、翌日は獅子吼高原一帯を見学の後、鶴来温泉にて一泊した。
また翌年の1962年(昭和37年)5月23日にはインド上院議員のカレル・カール・カカサーブ博士が仏舎利塔の礼拝に鶴来町を訪れた。

しかしそれ以降、仏舎利塔建立に関する情報は途絶える。
獅子吼高原の観光事業自体も、当初は順調であったが次第に客足は減少。1970年(昭和45年)春には落雷により高原ハウスが消失、また同年冬には近隣に大日スキー場が開業、更に暖冬が2~3年続くなど、厳しい経営環境が続いた。
1972年(昭和47年)に鶴来町が観光振興のために石川県に依頼して作成された鶴来町産業開発調査報告書の中で、仏舎利塔が「山岳頂上に設けられ、維持管理が困難なため荒れ果てている」との記載があるなど、この時点で既に大宝塔建立の計画は潰えていたと考えてよいだろう。
正確な時期は不明ながら、1980年ごろには仏舎利塔の建立が実現しないことから、長年銀行の貸金庫の保管されていたという仏舎利も日本山妙法寺により回収されたという。

1995年(平成7年)4月、久々に仏舎利塔に関する記事が北國新聞に掲載されたが、その内容は仏舎利塔の老朽化が進んでおり、インド大使が贈った碑石がはがれて落ちたというものであった。また仏舎利塔を所有する仏舎利塔奉賛会は既に実態を失い自然消滅したような形となっており、実質的に塔の管理を行っている鶴来町地域振興公社も対応に苦慮しているなど明るい話題は皆無であった。

2005年(平成17年)11月、地元有志により再び仏舎利塔奉賛会が組織され、老朽化した仏舎利塔の改修が行われた。翌2006年(平成18年)4月8日、釈尊生誕の日に改修を終えた仏舎利塔の竣成式が行われ、関係者約40名が参加した。
なお、この奉賛会の会長は谷本大(ダスキン北陸株式会社社長)、副会長は角永善一(株式会社角永商店社長)で、前者は谷本鶴来町長の、後者は仏舎利を鶴来に招致した角永豊治の息子である。

それ以降、残念ながら本仏舎利塔が話題に上ることはなく現在に至っている。
仏舎利すら奉祀されていないこの小さな宝塔は、この先も叶うことのない大仏舎利塔の夢を見続けるのだろうか。

なお、石川県には金沢市の奥卯辰山にも金沢仏舎利塔が存在する。こちらは建立まで紆余曲折を経たものの、1974年(昭和49年)に無事完成した。



参考文献:
鶴来商工会70年史
北國新聞 1960/10/10・1960/10/11・1961/08/02・1995/04/21・1995/04/22・2006/04/09
北国年鑑昭和36年版
北国年鑑昭和37年版
北国年鑑昭和38年版
北国年鑑昭和39年版
宗教年鑑昭和35年度版



スリランカ大使碑文

インド大使碑文






白山仏舎利塔
Address : 石川県白山市八幡町リ110


2023/05撮影



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散る散るミチル

ヤンゴンのコロニアル建築を中心にミャンマーのニッチな観光情報をまとめています。
日本帰国後は日本にあるミャンマー関連のものを中心に取り扱ってます。

最近は仏舎利ハンターに転職して全国各地の仏舎利塔を巡っております。夢は「新版 日本の仏舎利塔」の発刊と故郷に仏舎利塔を建立すること。

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