Address : 香川県三豊市財田町財田上3542
香川県三豊市にある浄土真宗本願寺派、敎國山品福寺(ほんぷくじ)。
当寺には住職の香川徹男師によりビルマから持ち帰られた仏像が存在する。
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当寺の住職である香川徹男師は1935年(昭和10年)に香川県で生まれた。龍谷大学に進学した後、1957年(昭和32年)にビルマへ留学僧として渡航し3年間の比丘生活を送る。
このビルマへの留学僧派遣は日本釈尊正法会によるもので、60名近い応募者の中から香川師を含む17名がビルマへと渡った。その中には既に当ブログで取り上げた土浦・佛照寺(ビルマ釈迦堂)の鴨崎仁彦師(故人)や京都・壬生寺の松浦俊海師、滋賀・霊山院の小寺文頴師(故人)、ビルマ仏教に関する著作で有名な池田正隆などもいた。
1957年5月に神戸から船でビルマへと渡り、1961年に帰国するまで、17名の中でも最後までビルマで比丘生活を送ったという。
この仏像はビルマ滞在中、ロイコー(Loikow/လွိုင်ကော်)の寺院(「島にある猫のいる寺」という話だったのでロイコーではなくインレーのガーペー僧院(Nga Phe Kyaung/ငဖယ်ချောင်းကျောင်း)の可能性が高い)から贈られたもので、実は香川師はこの仏像の他に2体の仏像を持ち帰ったという。そのうちの1体はビルマ滞在中に色々と世話になった人物へ譲り、そしてもう1体は帰国の途中で寄港したペナン(Penang)でたまたま知り合った広島発のブラジル移民団に贈ったという。
師は帰国後、龍谷大学大学院文学研究科博士課程を単位取得し、大谷高校の英語教員や四国学院大学勤務を経て品福寺の住職になった。また住職として以外にも保護司、人権擁護委員、教誨師として地域活動に従事した。
なお、香川師は2000年(平成12年)に帰国後初めてミャンマーを訪問しているが、この訪問の目的の一つに留学中に自殺した留学仲間の墓を確認するというものがあった。
留学してから2年目に留学仲間であった1人の僧が寮内で自殺をしてしまったという。師は彼の墓の建立に奔走したが残念ながらその願いは師の帰国までには叶わず、現地のビルマ人へと託すこととなる。その後墓自体は完成したものの、師がその実物を確認するのはこの2000年の訪問まで、約半世紀近い歳月が経過することとなってしまった。
しかしながらこの訪問でヤンゴンの日本人墓地に仲間の墓があることをその目で確認できたという。ちなみに墓石に刻まれた仲間の名前は師の手によるもの。
*本像は一般公開はされておりません。
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右手には宝珠 |
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バガンで手に入れた経典 |
2022/08撮影
参考文献:
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