ビルマから贈られた仏舎利が奉納された「清浄光塔」(福寿山善福寺)

Address : 東京都杉並区善福寺4-3-6


東京、杉並にある曹洞宗福寿山善福寺。
その境内には「清浄光塔」と名付けられた慰霊塔が存在する。この塔は陸軍士官学校第57期生などにより1987年(昭和62年)に建立されたものだ。


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この清浄光塔は1987年(昭和62年)5月16日に、陸軍士官学校第57期生、陸軍航空士官学校第57期生、陸軍経理学校第6期生、陸軍軍官学校第2期生により建立された。
1950年以降、全国各地で陸軍士官学校などの同期生の会が発足し活動を始め、1964年(昭和39年)に東京地区同期生会の呼びかけで靖国神社全国慰霊祭を実施したことをきっかけに、1969年(昭和44年)に戦没同期生の慰霊と親睦を目的とする全国同期生会が結成された。
更に1975年(昭和50年)には陸軍経理学校第6期生、陸軍軍官学校第2期生のそれぞれの会とも同期生として親交を深めていくことを決定した。

同期生会の事業として、前述の靖国神社全国慰霊祭(1964年)を第1回として5年ごとの慰霊祭実施や、1975年(昭和50年)にはこの塔の建つ善福寺にて最初の永代供養法要の実施などがある。
また1987年(昭和62年)には善福寺境内にこの「清浄光塔」を建立。この慰霊塔には戦没者零璽簿とともに田中一義師がビルマから贈られた仏舎利が奉納された。


当寺の3世住職である田中一義師は、1919年(大正8年)長野県で生まれた。陸軍士官学校57期生として1944年(昭和19年)に陸士を卒業後、ビルマへと出征し第二師団(通称号:勇)工兵として断作戦等に参加した。なお師の兄はインパール作戦に参加しカレーワ(Kalewa/ကလေး၀)にて戦死している。

田中師は戦後数十回にわたり慰霊のためにビルマを訪れているという。
確認できる訪緬の記録として、1979年(昭和54年)に旧南機関員とともに陸士57期生として訪緬したものがある。この訪問の際はラングーン日本人墓地、メイミョー陸軍墓地、イラワジ河畔のアバ鉄橋附近等において戦没慰霊供養を行った。なお、その際には当時の国家主席であるネウィンとも面談している。ただしその際に仏舎利を贈られたという記述はないため、この清浄光塔に奉安された仏舎利がどのような経緯で田中師の手に渡ったかについては不明である。

また京都府宇治市にある鳳翔山靖國寺には田中師がビルマ国王から贈られたとされる仏舎利が奉られた仏舎利塔が存在しているが、残念ながらこちらの仏舎利もどのような経緯で田中師の手に渡ったか確認できなかった。


なお、清浄光塔の隣には第2師団(通称号:勇)工兵隊第2連隊の慰霊碑も存在する。









勇兵団工兵隊慰霊碑
2021/11撮影

参考文献:
実業の世界 78巻4号
財団法人大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会 広報誌「慰霊」 第9号


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