Address : 京都府宇治市宇治金井戸7-14
参考文献:
宇治市にある鳳翔山靖國寺。
靖國の名を冠し、全国の戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺であるという。そしてその本尊はビルマ国王から贈られたと伝えられる釈迦牟尼仏である。
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公式ウェブサイトによれば当寺は1929年(昭和4年)に中井祖門禅師により発願された。本尊である釈迦牟尼仏は永平寺71世貫首高階瓏仙禅師(1876-1968)が戦時中にビルマ王朝より国賓として招かれ、ビルマ国王から感謝と友好の証として贈られたものであるという。
そして当寺の本堂が完成した際、本尊がないことを聞いた高階禅師から親交のあった中井禅師へと贈られ奉納されたという。
さて、当然のことながら戦時中にビルマ王朝は存在していない。ビルマ最後の王朝であるコンバウン朝(Konbaung Dynasty)は第三次英緬戦争(the Third Anglo-Burmese War)により1886年に滅亡している。
また公式サイトでは高階禅師がビルマ王朝から招かれた際、師は日本仏教会の会長を務めていたと記述されているが、師が日本仏教会の会長を務めていたのは1957年10月から1961年10月の間(1963年10月から1965年12月に二期目)で、戦時中ではない。
では一体この仏像はどういった経緯で高階禅師の手に渡ったのであろうか。
まず師の経歴について簡単に触れてみたい。
師は1876年(明治9年)福岡県生まれで1890年(明治23年)に永泉寺の高階黙仙住職について得度。その後永泉寺、安国寺、可睡斎住職などを歴任。また總持寺12世貫首(1941年)、永平寺71世貫首(1941年)、曹洞宗18代管長(1944年)、全日本仏教会会長(1957年/1963年)に就任した。1968年(昭和43年)1月、91歳で遷化。
確認できる限り、師は生涯で2度ビルマを訪問している。
それはどちらも1954年(昭和29年)で1度目が6月の仏教親善使節及び戦跡慰霊で2度目が12月の第三回世界仏教徒会議である。残念ながらそのどちらでもビルマ側から仏像を贈られたという記録は残っておらず、この仏像がどういった経緯で師の手に渡り、そして靖國寺へと奉納されたかは不明である。
本堂の竣工時期について、公式サイトでは1943年(昭和18年)、1945年(昭和20年)、1949年(昭和24年)4月と3つの記載があり、現地の案内板では1946年(昭和21年)3月となっている。
一方で入佛式については公式サイト、現地案内板とも1943年(昭和18年)11月で一致しており、仏像自体の寄贈はやはり1943年であった可能性が高い。
仮に公式サイトの記述通りに高階禅師が国賓として招かれたのであれば、恐らくそれはビルマ国として独立を果たした1943年(昭和18年)8月1日以降であるだろう。高階瓏仙禅師傳(原田亮裕編)の年譜には師の詳細な活動記録が記載されているが、1943年5月31日から1944年1月21日までに関しては空白となっている。
はっきりとは言えないが1943年8月1日以降、11月3日の入佛式までの間に高階禅師が私人としてビルマに招かれその際に仏像を贈られたとすれば辻褄が合うが、残念ながら確認はできなかった。
また、曹洞宗総合研究センターに本仏像についての問い合わせを行ったが、仏像に関する記録は存在しないという回答であった。
なお、境内にはこの仏像の他、ビルマから贈られた仏舎利が祀られている仏舎利塔や第15師団(通称号:祭)の慰霊碑も存在する。
2022/01撮影
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