Address : 愛知県名古屋市中区三の丸1-7-3 愛知縣護国神社境内
愛知県名古屋市にある護国神社の境内には2つのビルマ戦線慰霊碑が存在する。
そのうちの1つが「やすらぎの碑」と名付けられたこの慰霊碑である。
「သမာဓိ」のビルマ文字とともに10の輪を重ねたこの慰霊碑は、独立輜重兵第51大隊の戦友会である「たづな会」により1968年(昭和43年)4月21日に建立された。碑の設計は二紀会の川口正治。
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同隊は1941年(昭和16年)11月30日、中部第13部隊において編成された。
12月8日に太平洋戦争が勃発すると12月21日に大阪港を出港し翌1942年(昭和17年)1月13日バンコクに到着、第33師団に配属となる。バンコクからビルマへ向かいビルマ進攻作戦に参加、3月10日にラングーンへと入城した。
以降は第33師団及び第55師団に配属され各方面の作戦に参加、1944年からはインパール作戦にも参加した。なお同隊の中でも第二中隊は輜重部隊でありながら戦闘隊として陣地の死守、また陽動隊としても活躍したという。
インパール作戦後は各地での作戦に参加、最終的にモールメン(現モーラミャイン)に向かう途中で終戦を迎えた。
編成時2,440名のうち1,947名がビルマの地に散華した。
1967年(昭和42年)4月23日に愛知縣護国神社において、同隊戦友会のたづな会による慰霊祭が執り行われた。
その際にビルマで戦死した同隊栗本輝尚少佐の夫人である栗本八重子より慰霊碑建設基金として寄付を受けたことから、慰霊碑の建立計画が始まった。その後関係者との協議の上、生還者や各方面からの協力もあり護国神社境内に鎮魂碑を建立することになり、前述の通り1968年(昭和43年)4月21日に建立の運びとなった。
輪を積み重ねた慰霊碑は輜重隊の車輪とビルマのパゴダを表しており、10個を重ねているのは職業年齢地位階級等を超越した全ての人々の平和を願う祈りの姿であるという。
また正面のビルマ文字で記された「သမာဓိ」は当時の駐日ビルマ国大使であったウ・バースエ(U Ba Swe?)による揮毫で、日本語に訳せばそのまま「やすらぎ」が近いだろうか。
その他徳島県ビルマ会(参考:徳島パゴダ)から霊砂が、元南機関の川島威伸から霊石が贈られた。
2020/09撮影
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