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Address : 愛知県名古屋市中区三の丸1-7-3 愛知縣護国神社境内
愛知県名古屋市にある護国神社の境内には2つのビルマ戦線慰霊碑が存在する。
そのうちの1つが「心の塔」と名付けられたこの慰霊塔である。
パゴダを模したこの慰霊塔は第31師団衛生隊の戦没者459柱を祀るために、同隊戦友会の「烈衛会」により1971年(昭和46年)8月8日に建立された。
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同隊は1943年(昭和18年)4月16日に広東省にて編成され、フランス領インドシナ、タイ、マレー(マレーシア)を経て同年8月16日にラングーンへと上陸した。
その後ビルマ北部へと進駐しジビュー山系一帯に展開、ウ号作戦(インパール作戦)の命が下ったことから1944年(昭和19年)2月25日にチャンギー村を出発。3月16日にチンドウィン川を渡り4月5日にはコヒマを攻略した。ただしこの時点で31師団の残存物資は枯渇しており、これ以上の進撃は不可能な状況であったという。
6月に入りコヒマを撤退、この撤退は31師団長佐藤幸則中将による独断で、司令部の命に従わなかった日本陸軍初の抗命事件としても有名である(その後佐藤師団長は更迭)。
以降撤退を続けウクルル(Ukhrul)、シッタン(チンドウィン川渡河:8月30日)、イェウ(Ye-U)を経てザガインへと到着した。
その後はイラワジ会戦やメイクテーラ攻防戦などに参加。最終的にサルウィン河防衛作戦に参加中にマルタバン近郊で終戦を迎えた。
編成時699名のうち戦死者159名、戦病死300名とそのほとんどがビルマの地に散華した。
銘板には、ビルマでの長い戦いの思い出の中で懐かしく心に浮かぶものは、大小様々なパゴダとその信仰篤い人々の温かさであり、この塔がパゴダを模しているのはこの善意への感謝をこめたものである旨が記されている。
正面の「四大性 自複 如子得 其母(四大の性 自ずから復る 子のその母を得るが如し)」は黄檗山第55代慈光通照による。
2020/09撮影
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