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Address : 兵庫県姫路市名古山町14-1 名古山霊苑内
姫路の名古山霊苑内にはビルマに関わる慰霊碑が2つ存在する。
どちらも第54師団歩兵第111連隊に関するもので、そのうちの1つがこの「あゝビルマの戦友」の碑である。この碑は同隊の戦没者2,633名を慰霊するために姫路ビルマ会(兵一二会)により1967年(昭和42年)に建立されたもの。
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歩兵第111連隊は1943年(昭和18年)2月26日の動員下令により編成され、3月10日に広島の宇品港を出港しジャワ島へと向かい東部ジャワの防衛に当たった。
同年10月、ビルマへの転進命令により、翌1944年(昭和19年)1月にアキャブ(現シットウェ)へと上陸。以降1945年(昭和20年)8月の終戦に至るまで第二次アキャブ作戦をはじめ、カラダン河谷、イラワジ河、ペグー山系、シッタン河付近の諸作戦に参加した。
中でもカラダン河谷における第一次カラダン作戦の際には戦功をあげたことで感状が全軍に布告されたという。
インパール作戦の失敗と戦況の悪化に伴い東へと転進を続け、最終的にシッタン川を渡り南下しているときに終戦を迎えたという。1947年(昭和22年)5月に復員し、宇品にて解散となる。
碑文によれば編成時2,905名のうち連隊長の矢木孝治大佐を含む2,633名が戦死したという。
碑の揮毫は連隊編成時の連隊長であった木庭知時少将による。
なお、名古山霊苑の中央には大岡實設計の巨大な仏舎利塔があり、内部には1954年(昭和29年)4月にインドのネルー首相より贈られた仏舎利が奉安されている。
2020/12撮影
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