前回に続いてアウンサン将軍の足跡を辿る旅 in 浜松の第三回です。
1940年(昭和15年)11月に羽田飛行場に降り立ったアウンサン(Aung San)とラミャイン(Hla Myaing)の2人は鈴木大佐の郷里である浜松へと向かう。
参考:
浜松に到着した両名は浜松市の鴨江町、弁天島の小松屋旅館に滞在したのち、奥浜名湖の舘山寺へとその隠れ家を移すこととなる。今でこそ浜名湖観光と言えば舘山寺温泉が有名であるが、当時の舘山寺は温泉の開湯もされておらず旅館が数件ある程度であったというから、恐らくこの移動は人目を避けてのものであったのではないだろうか。
さて、こうして舘山寺へと移った彼らが滞在したのが「舘山寺観光ホテル」である。
舘山寺観光ホテル(時期不明、1934~1940年の間)
舘山寺観光ホテルは1934年(昭和9年)に地元実業家の徳田五一郎により開業されたホテルである。
温泉が開湯される前の舘山寺は、1920年(大正9年)発刊の「浜名之栞」に「秋:茸狩(舘山寺)」と記載される程度には行楽地として知られていたものの、初めて宿泊施設ができたのが1924年(大正13年)と観光地としての開発はほとんど進んでいなかったことが伺える。昭和に入って数件宿が増えたが食事が主で宿泊客はまれであったというから、当時既に旅館街が形成されていた弁天島と比べて人目の少ない環境であったことが想像できる。
ではこの舘山寺観光ホテル、どこにあったのであろうか。
かんざんじ温泉開湯40周年記念誌「古往今来」に舘山寺から御陣山を望んだ写真が掲載されている。1957年(昭和32年)頃に撮影されたこの写真の左奥に見えるのが舘山寺観光ホテルである。
1957年頃
「古往今来」より
続いて舘山寺観光ホテルがその後どうなっていったのか見ていこう。
舘山寺一帯は1943年(昭和18年)に陸軍兵器行政本部の部隊が駐屯し、一帯の建物や設備は徴発されてしまった。幸いなことに舘山寺観光ホテルは駐屯地内ではなかったために徴発は免れたが、悪化する戦況とともに一帯が厳重な警戒態勢がとられたことで、観光地としての舘山寺はいったん終わりを迎える。
恐らくこうした事情による観光客の激減から舘山寺観光ホテルは1944年(昭和19年)9月に日本医療団へと売却される。
1945年(昭和20年)8月の終戦を迎えた後も引き続き日本医療団が所有していたが、1947年2月に静岡県がこのホテルを購入し5月1日から「舘山寺子どもの家福音寮」として使用されることとなる。
舘山寺子どもの家福音寮は、もともとキリスト教牧師であった井上哲雄が終戦時の混乱の中、満州で生まれた孤児を育てるために設立した「ハルピン愛生孤児院」を前身とし、井上を含む150名ほどが1946年10月に満州から引き揚げてきた後、舘山寺にて愛生孤児院を発展的解消したうえで設立されたもので、1949年8月の時点で100名近くがこのホテルで生活していたという。
なお、福音寮は1952年4月に浜松市内へと移転し「清明寮」と改称したうえで現在まで存続している。
参考:
1952年(昭和27年)に福音寮が移転するとともに、浜松市の佐藤治郎が静岡県より払い下げを受け翌1953年(昭和28年)1月から「舘山寺国際観光ホテル」として開業、再び宿泊施設としての歴史を歩み始めることとなる。
このころより舘山寺は観光地として劇的な発展を遂げていく。
1953年(昭和28年)に舘山寺保勝会が舘山寺観光協会へ改組、1956年(昭和31年)に遠州鉄道株式会社が一帯の開発のために舘山寺観光開発株式会社(現遠鉄観光開発株式会社)を設立。
以降は遠鉄による積極的な開発により1958年舘山寺温泉開湯、1959年舘山寺遊園地(現浜名湖パルパル)開園、1960年ロープウェイ開通(日本初の湖上をわたるロープウェイ)、1965年舘山寺遠鉄ホテル開業と日本の一大観光地へと成長していった。
こうした発展の中、舘山寺国際観光ホテルも1964年(昭和39年)に鉄筋コンクリート造の5階建ての建屋を新築するなど業務を拡大していく。佐藤治郎も1960年(昭和35年)に第5代舘山寺観光協会会長に就任したり、1967年にはホテル内で「堀江城60年追善供養会」を開催するなど舘山寺温泉の中心として活躍していき、1973年には開湯15周年式典で温泉開発功労者として表彰もされている。
そしてアウンサンが滞在した建物自体も、その姿をほとんど変えることなく残り続けていた。
1965年頃 右の赤い屋根の建物
残念ながら1982年(昭和57年)にこの建物を含む一帯の不動産全てが遠州鉄道株式会社により購入され、翌1983年3月20日に全ての建屋が取り壊しとなりアウンサンが滞在した建物もその歴史に幕を閉じることとなる。
一帯を購入した遠鉄は1987年(昭和62年)9月6日、跡地に舘山寺温泉では最大規模の純和風高級旅館として「ホテル九重」を開業する。
ホテル九重は現在まで舘山寺温泉における遠鉄の中心的なホテルとして存続している。
ホテル九重
Address : 静岡県浜松市西区舘山寺町2178
ゼンリン住宅地図 浜松市南部 1980年より
ゼンリン住宅地図 浜松市西区 2019年より
それでは最後にアウンサンが滞在した1940年(昭和15年)当時から残るものを紹介していこう。
舘山寺・愛宕神社
舘山寺は弘法大師により810年(弘仁元年)に創建されたと伝えられている。
もとは真言宗の寺院であったが、明治の廃仏毀釈により一時廃寺となり、1890年(明治23年)に再興。再興の際に秋葉山秋葉寺の末寺として再興されたために現在は曹洞宗の寺院となっている。現存する伽藍は1976年(昭和51年)1月に完成したもので残念ながらアウンサン滞在時のものではない。
また隣接する愛宕神社は更に古い727年(新亀4年)の創建と伝えられている。社殿の建築年は不明。
Address : 静岡県浜松市西区舘山寺町2231/2234
舘山寺
愛宕神社
山水館(山水館欣龍)
1910年(明治43年)に新村伊平が「三河屋」という料理屋として開業したのが始まりと言われている。その後1919年(大正8年)に割烹料亭「山水楼」を開業、1924年(大正13年)に「山水館」へと改称するとともに旅館業を開始した。前述した1924年に初めて舘山寺にできた宿泊施設というのがこの山水館である。
戦後、現在の「山水館欣龍」に再度改称し現在に至る。残念ながら現存する建物は戦後に建てられたもの。
1936年(昭和11年)には与謝野晶子も宿泊したといわれている。
Address : 静岡県浜松市西区舘山寺町2227
湖に面する2棟の建物
聖観世音菩薩
建立当時、この近辺は若い男女の心中が非常に多かったという。この観音像はこれらの霊の供養と今後このような心中がなくなることを願って地元民の協力奉仕と浄財により1937年(昭和12年)に建立されたもので、恐らくアウンサン滞在時から現在まで残る唯一のものであると考えられる。
余談だがこの観音像の顔が安倍晋三元首相に似ているとして一部で有名である。
Address : 静岡県浜松市西区舘山寺町2229
2020/09撮影
というわけでアウンサン将軍の浜松滞在はこの舘山寺観光ホテルが最後となる。
1940年の暮れごろに高円寺へと移っていったといわれ、両名が浜松に滞在したのは長くても2ヶ月弱といったところだ。とはいえアウンサンにとっては日本で最も長い時間を過ごした場所になるのかもしれない。
一般にはあまり知られていないであろうミャンマーと浜松の繋がりを、少しでも多くの人に知ってもらえることを願って浜松編を終わりにしたい。
参考文献:
かんざんじ温泉開湯40周年記念誌 古往今来 浜名湖かんざんじ温泉紀行
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