前回に続いてアウンサン将軍の足跡を辿る旅 in 浜松の第二回です。
1940年(昭和15年)11月に羽田飛行場に降り立ったアウンサン(Aung San)とラミャイン(Hla Myaing)の2人は鈴木大佐の郷里である浜松へと向かう。
参考:
浜松に到着した両名は最初は浜松市鴨江町にある鈴木大佐の妻、節の実家に身を寄せることとなる。
その際実家の向かいにあった親戚の家に、後に南機関にも属する杉井満(興亜院勤務)夫妻を住まわせその世話に充てたという。
泉谷達郎「ビルマ独立秘史」より
しかしすぐに市内の噂になったため、そこから浜名湖畔の弁天島にある小松屋旅館へと移動した。
ではこの小松屋旅館、いったいどこにあったのであろうか。
早速弁天島がある舞阪町観光協会へと問い合わせてみた。
参考:
すると1945年(昭和20年)の弁天島の地図とともに、小松屋旅館が現在はBentenkanの敷地の一部であることを教えて頂いた。かつて弁天島駅から弁天橋のある通りは旅館街となっており、小松屋旅館の他にもいくつもの旅館が軒を並べていたという。残念ながら現在まで残る旅館は「あみ住」のみとなってしまっていたが、そのあみ住も今年になって閉業してしまったという。
1945年頃の弁天島旅館街
舞阪町観光協会提供
続いて正確な位置を確認するためにゼンリンの住宅地図を見ていこう。
浜松市立図書館所蔵で最も古い住宅地図は1981年のものであったが、そこには確かに小松屋旅館が存在している。2019年のものと比較してみよう。
ゼンリン住宅地図 浜名郡 1981年より
ゼンリン住宅地図 浜松市西区 2019年より
旅館あみ住の隣、藤田米店(現藤田屋)の向かいが小松屋旅館であり、まさにBentenkanが建つ場所である。
ちなみにこのBentenkanは寝具で有名な「丸八真綿」が所有しており、現在は社員向けの保養所・研修所として使用されているという。
Address : 静岡県浜松市西区舞阪町弁天島2669-151
現在ではその面影は全くないが、かつてこの場所にアウンサン将軍が滞在していたのだ。
緑川巡の「幻のビルマ独立軍始末記」によればアウンサンとラミャインが滞在した部屋は「小松屋旅館の浜名湖に面した二階」であり、泉谷達郎の「ビルマ独立秘史」によればまだ南機関員やその関係者が存命であった頃は毎年9月20日の鈴木大佐の命日に集まって彼らが滞在した部屋にて回顧談に花を咲かせていたという。
なお小松屋旅館自体は明治30年代に創業された老舗旅館であり、1986年にはアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)現国家顧問も父アウンサンの伝記執筆のために訪問している。
時期不明(明治後期?)
さて、再び観光協会から提供された地図に戻ろう。
ほとんどの旅館や食堂が既にその姿を消した一方で、現在まで残るものもいくつか存在する。
弁天島駅、開春楼、そして弁天神社だ。
弁天島駅は1906年(明治39年)7月11日に開業し、アウンサンが滞在していたころの駅舎は1916年(大正5年)に建てられた2代目の駅舎であった。
残念ながら現在の駅舎は1960年(昭和35年)のもので当時の面影を探すことは困難である。
ちなみに当駅の開業に先立つ1906年7月1日には浜名郡下の著名人などを招いて開業記念パーティーが開催されたが、その開催場所が小松屋旅館であったという。
Address : 静岡県浜松市西区舞阪町弁天島
開春楼は1892年(明治25年)創業の老舗旅館であるが、運営会社が2009年(株式会社浜名湖観光ホテル)、2018年(株式会社西山商事)に破綻するなど厳しい状況が続いている。
2019年4月に現在の株式会社ワールドトラベルに買収され再開業したが、今年に入ってコロナの影響から再び閉館している。
建物自体は1962年(昭和37年)に建てられた後、1971年、1978年、1984年に増改築が行われており、弁天島駅同様アウンサン滞在時の面影を見つけることは難しい。
余談だが開春楼は「ゆるキャン△」5巻集録の「海と湖とたなぼたキャンプ」にて「弁天楼」として登場しており、聖地巡礼に訪れるファンも多いという。
Address : 静岡県浜松市西区舞阪町弁天島2669-1
弁天神社はその創建を1708年(宝永5年)まで遡るといわれ、現存する社殿は1881年(明治14年)の建立である。また鳥居は1916年(大正5年)の建立でどちらもアウンサン滞在時にはこの地に存在していたものである。
加えて境内には3つの碑(正岡子規句碑、茅原崋山詩碑、松島十湖句碑)があり、それぞれが1925年(大正14年)、1930年(昭和5年)、1912年(大正元年)の建立と言われており、境内中央にある御神木とともにアウンサンと同じ時を過ごしたものが多数現存している。
Address : 静岡県浜松市西区舞阪町弁天島2669
アウンサンは当時25歳。
独立の構想を練るとともに、もしかしたら浜名湖で泳いだり近所の神社などにも足を運んでいたのかもしれない。
この後、彼らは奥浜名湖の舘山寺へとその隠れ家を移していくことになる。
当時、弁天島は既に観光地・別荘地として有名であったので、人目を避けるための移動であったのかもしれない。
次回、舘山寺観光ホテルの面影を探してみたい。
旧小松屋旅館裏手
やどやあみ住(2020年閉業)
2020/09撮影
参考文献:
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